当社ホームページのプレスリリースはこちら
ニュースルーム | 東レリサーチセンター (toray-research.co.jp)
【要旨】
株式会社東レリサーチセンター(所在地:東京都中央区日本橋本町一丁目1番1号、社長:吉川正信、以下、「TRC」)は、株式会社キミカ(所在地:東京都中央区八重洲二丁目1番1号、社長:笠原文善、以下、「キミカ」)、国立研究開発法人産業技術総合研究所(所在地:東京都千代田区霞が関 一丁目3番1号、理事長:石村和彦、以下、「産総研」)と共同で、アルギン酸の新しいゲル化メカニズムを解明しました。
アルギン酸は食品や化粧品、製薬分野で利用される増粘剤やゲル化剤です。研究チームは、アルギン酸水溶液がカルシウムイオンの添加によってゲル化する過程を、走査電子誘電率顕微鏡、動的粘弾性、小角X線散乱などの複数種の手法(分析手法の特長等は後述)を用いて分析し、総合的に考察しました。その結果、イオン架橋による従来の「エッグボックス構造」※1)が形成される前に、アルギン酸分子が「糸マリ状」に凝集し、その解れ(ほぐれ)がゲル化を引き起こすことが判明しました。この知見は、アルギン酸ゲルの硬さの制御などに活かすことができ、食品添加物や医薬品の性能向上や新機能の開発、再生医療分野での細胞足場材※2)やドラッグデリバリーシステム(DDS)※3)、バイオ3Dプリンティング※4)への応用に貢献すると期待されます。また、本研究で用いた多角的な分析技術はゼラチンやコラーゲンなどの他の生体材料の研究にも応用可能です。
なお、本成果は、2024年4月30日公開の International Journal of Biological Macromolecules誌に掲載されました。
【背景】
アルギン酸は海藻(褐藻類)から得られる多糖類で、2種類のウロン酸(マンヌロン酸,グルロン酸)が直鎖状に連なる構造をしています。水に溶けると高粘度の溶液になり、カルシウムイオンと反応すると即座にゲル化する特性があります。この性質により、食品や医薬品において増粘剤、ゲル化剤として利用され、細胞に影響を与えないため、生体内の損傷部位の保護材や組織再生の足場材、DDSのカプセル化基材等としての研究も進んでいます。アルギン酸分子鎖に含まれるグルロン酸は、他の分子鎖のグルロン酸とカルシウムイオンで架橋されることで「エッグボックス構造」を形成し、ゲル化します。しかし、水溶液中のアルギン酸分子鎖の状態やエッグボックス構造の形成過程は、まだ明確になっていません。
【研究概要】
この研究では、アルギン酸水溶液のゲル化挙動を多角的に分析しました。その結果、アルギン酸は糸マリ状に凝集し、水に溶けていることが明らかになりました。この凝集はアルギン酸水溶液の粘度に影響を与え、増粘剤として作用しています。さらに、カルシウムイオンを添加すると、繊維状のネットワークが形成され、ゲル化が進行することが確認されました。ゲルの硬さは、この繊維の太さやネットワーク密度により決まります。
ゲルの硬さを制御するためには、糸マリ状の凝集から繊維状ネットワークへの変化過程を理解することが重要です。カルシウムイオンを添加した際、直ちにエッグボックス構造形成によるゲル化が始まるのではなく、まず糸マリ状の凝集が解れ、その後にゲル化が進行することが見出されました。この凝集の解れにより、アルギン酸分子の架橋サイトが露出し、カルシウムイオンが架橋サイトに侵入しやすくなり、エッグボックス構造が形成されるという新たなゲル化メカニズムを明らかにしました(図1)。実際には、凝集の解れとエッグボックス構造の形成は競合的に進行するため、ゲル化速度に応じて最終的なゲル繊維の太さやネットワーク構造が変化し、ゲルの硬さが変わる現象が詳細に解釈することが可能となりました。
図1. アルギン酸のゲル化初期での凝集の解れメカニズムのイメージ図。糸マリ状の凝集から直接ゲル化するのではなく、カルシウムイオンが凝集体に侵入接触して、凝集が解れることでカルシウムイオンが架橋サイトへ侵入することができる。
【今後の展開】
アルギン酸ゲルの強度は組織工学や再生医療、DDSの各分野において重要です。生体内での安定性と周囲環境への適合性の2点で特に重要で、適切な強度が求められます。アルギン酸ゲルは、機械的な力が加わる部位や組織で利用され、組織の修復後は分解される必要があります。また、細胞が適応して分化するには、骨、心臓、脳、脂肪などの柔らかさが異なる組織毎に、細胞の増殖や組織再生が進行しやすい強度のゲルを必要とします。
このように、アルギン酸ゲルの強度は、バイオマテリアル※5)としての利用において重要な指標となります。今回の研究により、アルギン酸ゲルの強度をコントロールするためのゲル化速度への理解が進み、各分野の研究を加速させることが期待されます。また、今回用いたような多角的な分析アプローチは、ゼラチンやコラーゲンなどの他の生体材料にも応用可能です。
【適用した分析手法について】
走査電子誘電率顕微鏡(Scanning Electron-Assisted Dielectric Microscopy;SE-ADM):
2014年に産総研で開発した高分解能顕微鏡で、誘電率を用いて画像を検出する。窒化シリコン薄膜間に封じ込めた水溶液中の生物試料(タンパク質、細胞など)に電子線を照射し、局所的な電位変化を検出することで、染色不要で高いコントラストの観察が可能。生物試料に加えて、水処理膜や電解質膜、インクの分散状態なども観察できる。
透過型電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope:TEM):
薄片化した試料に電子線を照射し、透過電子を映し出す装置。真空下での観察のため、液体は観察不可で、生体試料にはコントラストを付与するための電子染色が必要。原子レベルの高解像度観察により、ナノデバイスの微細構造など特性評価、欠陥や界面の観察に活用される。
動的粘弾性:
物質が特定の周波数で変形する際の弾性(元に戻る性質)と粘性(変形に適応する性質)を測定する。液体では粘性が、固体では弾性が支配的であり、水溶液からゲル化するときには粘性と弾性の大小関係が逆転する。食品や化粧品のテクスチャー、樹脂材料、ゴムなどのガラス転移温度や流動性、弾性、強度などの熱力学的・機械的性質の基礎物性評価に加えて、耐久性や変形挙動の品質管理にも利用される。
時間領域核磁気共鳴(Time Domain Nuclear Magnetic Resonance;TD-NMR)
核磁気共鳴は、磁場中の原子核が電磁波で励起され、平衡状態に戻る信号を検出する手法である。時間領域核磁気共鳴はこの方法の一種で、短時間の電磁波を照射し、信号の時間変化を測定することで、物質内の原子の運動を調べることができる。材料の分子運動性、拡散挙動、溶解性、安定性を非破壊で評価し、多孔質の孔径や粒子分散材料の粒径分布測定も可能である。
小角X線散乱(Small-Angle X-ray Scattering;SAXS)
物質にX線を照射し、分子の並びによる散乱を観測する方法。ナノ(10億分の1メートル)スケールの構造解析が可能で、本報では、アルギン酸分子の凝集、イオン架橋点などの大きさの推定に用いられた。物質中の電子密度分布に基づく構造観測により、マトリックス(溶媒、媒質、非晶)におけるドメイン(粒子、凝集、結晶)の大きさや形状、界面粗さを推定できる。
【その他の用語説明】
※1)エッグボックス構造:
アルギン酸分子のカルボキシル基(-COOH)が2価の正イオンと静電的に相互作用することで形成される立体的な格子状の構造。この構造は、正イオンを卵、アルギン酸分子鎖を卵を保管する箱に見立て、それらが積み重なったような形状をしているため、エッグボックス構造と呼ばれる。
※2)細胞足場材:
細胞が組織などの構造を作るための枠組みとなる役割を果たす物質。
※3)ドラッグデリバリーシステム(Drug Delivery System;DDS):
医薬品を効率的に体内の特定の部位に送達するための技術や物質。医薬品の体内で安定化させたり、特定の部位での放出量を制御したりすることができる役割も果たしている。
※4)バイオ3Dプリンティング:
3Dプリンタを使って、生体材料や細胞で立体的な構造物を造る技術。臓器や組織を人工的に生産することができる。
※5)バイオマテリアル:
生体組織や細胞に直接触れて使用する材料。生体材料とも呼ばれる。