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インタビュー・コラム

MIYAMAN's column vol.4 『獅子の子落とし』から『奴隷解放』へ

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『獅子の子落とし』から『奴隷解放』へ

 失礼を顧みず言えば、修士最終試験の先生たちの疑問「何故、大学院を辞めてしまうのか?」に対する答えは、「このままの大学ではつまらない」ということでした。が、多分華族出身の教授から実験実習の一時間目に受けた講義が"エチケット"であった伝統ある植物学教出の生徒としては礼を尽く、この居心地の良く、知的にも刺激を受ける学窓を飛び出し、一度でも良いから世間の荒波を受けてみたい、獅子は敢えて愛する子供を崖から突き落とすではないかなど、滔々と書き口説いたものです。

その私が2007年から10年間、科学技術振興機構でポスドク1万人計画によって生じた"ポスドク難民"を救うポスドクのキャリア支援事業を展開することになるとは当時は想像すらしていませんでした。ただ、大学院の修士ではありましたが、私が大学で学んだことは決して無駄ではなく、実社会でも本当に役に立ったという実感が、この事業で初めて行ったポスドクのインターンシップでお互いに食わず嫌いだったポスドク(教官も)と企業の間を氷解させ、前途有望なポスドクやドクターに企業への就職や起業などアカデミア以外のキャリアパスを拓く原動力となりました。

この事業を始める時に固く心に決めていたことは"奴隷解放"でした。日経バイオテクを創刊して国内外を取材に飛び回るうちに、我が国の大学院教育の歪みが見えてきたのです。多くの大学では、研究テーマの選択の自由も与えられず、主に教授の研究を支援するために大学院生が使われていました。研究を主催する人材として育成する教育プログラムも大学院にはありません。教授たちは、研究は卓越していたかも知れませんが、人材を育成する手法も学んでおらず素人同然でした。大学院生が優秀な研究者として幸せな人生を送れるかどうかは、大学という機関ではなく、選んだ教授の当たり外れによって左右されていたのです。我が国の大学の国際競争力低下の最大の原因です。大学改革が不可欠です。

miyata.png 宮田 満 氏
東京大学理学系大学院植物学修士課程修了後、1979年に日本経済新聞社入社。日経メディカル編集部を経て、日経バイオテク創刊に携わる。1985年に日経バイオテク編集長に就任し、2012年より現職。厚生労働省厚生科学審議会科学技術部会委員、日本医療研究開発機構(AMED)革新的バイオ医薬品創出基盤技術開発事業評価委員など、様々な公的活動に従事。

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