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インタビュー・コラム

未来の医学部の使命は「社会を変える人材」の輩出 医療の展望を澤芳樹氏(LINK-J副理事長)に聞く(後編)

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ライフサイエンス研究のオピニオン・リーダーに話を聞く「スペシャルインタビュー」。第2回目となる今回は、重症心不全に対する再生医療の臨床応用に取り組むかたわら、日本再生医療学会の理事長として「再生医療の普遍化」にも挑戦している、LINK-J副理事長の澤 芳樹氏(大阪大学大学院医学系研究科 外科学講座 心臓血管外科教授)にお話をうかがいました。後編となる今回は、澤氏の筋芽細胞シートの開発秘話などを中心に、「クオリプス株式会社」設立の経緯、大学医学部の今後のあり方などについてご紹介します。☞前編を読む

――細胞シートのヒト臨床研究はどのように始まったのですか。

2007年から初めてのヒト臨床試験に挑戦しました。安全性を優先するため、最初は補助人工心臓を装着している患者のみ4例を対象としました。補助人工心臓があれば、仮に不整脈を起こしても致命的な転帰をたどる心配がありません。1例目がレスポンダーだったので、私たちは非常に喜びました。ところが2例目がノンレスポンダーでした。その人は後に心臓移植に進んだので、結果的には救命されています。

そこで私たちは、移植治療後に2例目の患者の心臓を調べました。すると、血管新生は起きていたのですが、すでに心機能が悪化しすぎて、細胞シートではカバーできない状態だったことがわかりました。こうした検討を経て、レスポンダーとノンレスポンダーを分ける要因が明らかになってきました。そこで、次に人工心臓を装着していない35例の心疾患患者を対象に試験を実施し、同様に良好な結果を得ました。

――それが後に製品化された「ハートシート」(テルモ株式会社)ですね。

ところが、試験は難航しました。たとえば、PMDA(医薬品医療機器総合機構)に薬事申請の相談をすると、担当者曰く「(医薬品という扱いなので)製造販売承認を取得するには<ランダム化二重盲検比較試験>が必要です」。しかし、開胸して心臓に細胞シートを貼付するのですから、二重盲検試験を行うのはまず無理ですし、プラセボ群の不利益も大きすぎます。思わず「そんな試験できるわけがない!」と。

とはいえ、当時の規制を考えれば、PMDAとしてはそう回答せざるを得ないわけです。誰が悪いわけでもない。岡野氏に話すと「規制が現実に追いついていない典型例だ」といってくれました。日本再生医療学会の理事長だった岡野氏は、すぐに「YOKOHAMA宣言(2012年)」を採択し、再生医療研究における隘路が規制であることを明言し、ガイドラインの策定などを行うべきだと提言をしてくれました。

規制の問題は、「医療イノベーション推進室」でも議論になりました。推進室では次長及び再生医療を担当しました。非常に面白い場所で、アカデミア、産業界、行政(経産産業省・文部科学省・厚生労働省)の様々な立場の人たちが、距離感なく話し合うのです。その様子は、まさに「作戦会議」といった様相でした。再生医療も議題に上がり、産・官・学の連携による再生医療の基盤づくりが進行していきました。

その後、推進室内での議論の内容がほぼ固まったころに再び政権交代が起き、推進室は解散になりました。しかし、解散後も再生医療の議論は進み、賛同してくださった議員の方々の尽力もあって、2013年には「再生医療推進法」が議員立法で成立しました。その他にも、薬事法の改正、「再生医療等安全性確保法」の制定、山中伸弥氏のノーベル生理学・医学賞の受賞、安倍政権の成長戦略「三本の矢」構想における再生医療の位置づけなど、様々な追い風をうけて、再生医療に関する基盤整備は一気に進展することになりました。

その後、岡野先生の後任として日本再生医療学会の理事長に就任すると、AMED(日本医療研究開発機構)の委託事業として、再生医療臨床研究促進基盤整備事業(ナショナルコンソーシアム事業)に着手しました。再生医療に関するデータを日本再生医療学会で集約して、関連する他の診療科の学会とも連携しながら、データベースを構築していく予定です。成功すれば、国家の財産となるものと期待しています。

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――今年3月には「クオリプス株式会社」を設立しています。その経緯を教えて下さい。

テルモ株式会社と共同開発した筋芽細胞シートについては、2015年の承認取得後も、粛々と進行しています。しかし、細胞シート技術については、さらなる技術の向上が必要だと考えていました。そこで、新たに「ヒトiPS細胞由来の心筋細胞シート」の開発に着手しました。安全性基準を自分たちで構築し、製品を製造して、安全性を確保しながら商品化していく――私たちにとっては初めての経験ばかりです。

そのうちに「アカデミアの限界」が見えてきました。たとえば、大学では製造販売承認を取得できませんし、研究を通じて蓄積される膨大なノウハウも、大学にあっては宝の持ち腐れです。研究室には博士だけでも30名以上いて、彼らは技術と熱意をもって日々の研究に取り組んでいます。そんな彼らにも、安定した常勤ポストを用意してあげたい。そこで、新たに「クオリプス株式会社」を設立しました。代表取締役社長の飯野直子氏の提案で、イタリア語の「クオーレ(心臓)」と「iPS(細胞)」をつなげて「クオリプス」と命名しました。

――最後に「今後の展望」についてお聞かせください。

大阪大学医学部の源流は、江戸時代後期に緒方洪庵が設立した「適塾」にさかのぼります。適塾は、蘭学の医師を育成する学校ですが、実際には日本を変えるような様々な人材を――たとえば、福沢諭吉や大村益次郎といった教育者や軍人などを多数、輩出してきました。

現在でも、進学校を中心に「医学部志向」が強い点は否めませんし、「医者は生活が安定している」とか「医者は不況に強い」と考える人も少なくありません。とはいえ、せっかく勉強してきたのだから、もっと世界を変えるような道も考えてほしい。かつて医学の学校であった適塾の卒業生が日本を変えていったように、これからの医学部には、社会を変えるような人材を育成する役割も求められていると思います。

sawayoshiki.png澤 芳樹 氏
大阪大学医学部を卒業後、医学部第一外科に入局。1989年にフンボルト財団奨学生としてマックス・プランク研究所(ドイツ)に留学。帰国後は大阪大学医学部にて講師、助教授を経て、心臓血管外科主任教授(現役)に就任。内閣官房医療イノベーション推進室では次長を務めた。再生医療および産学連携などに造詣が深く、日本再生医療学会(理事長)、ジャパンバイオデザイン協会(理事)なども務める。専門領域は重症心不全、弁膜症、先天性心疾患など。

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