インタビュー・コラム

MIYAMAN's column vol.32 クリティカル・マスを越えて、LINK-Jの次なる挑戦

クリティカル・マスを越えて、LINK-Jの次なる挑戦

LINK-J、創立10周年おめでとうございます。2006年に播かれた小さな種が、今や東京だけでなく、大阪府、神奈川県、欧米まで合わせて多くの自治体や団体が連携し、次世代のわが国の成長産業を支援する巨大なバイオ・ネットワークとして成長しつつある。今朝もLINK-Jのサロンで、偶々出会った顔見知りのアントレプレナーと情報交換したところだ。ここでは最新の情報に加え、社会を変革し、輸入超過の製薬産業をなんとか立て直し、わが国と世界に貢献しようと志を秘めた若者や、心が若い経験豊かな人々と、いつでも出会うことができる稀有な環境がある。

私がLINK-Jの噂を聞いたのは、東京都中央区にバイオのイノベーションの拠点を作るという構想であった。
「最初は本当にできるのか?不動産企業がそんな大胆なことができるのか?」と感じたことを覚えている。しかし、その後の発展を見るにつけ、江戸時代から製薬業が集結した日本橋、さらに四通八達する全国の街道の起点という地の利を十分以上に生かし、今や世界最大の産業に成長した製薬・バイオ産業を駆動するエコシステムが、確かに形成されつつあると感じている。これまで欧米のバイオ・クラスターを幅広く取材してきたが、発展するクラスターには必ず不動産企業が存在していたことを思い出した。

しかし、LINK-Jが目指したものは、物理的な貸しオフィスや貸しラボだけではなかった。数多のバーチャル・セミナーに加えて、アントレプレナーや弁理士などのプロフェッショナルとの面談を通じた企業支援、さらにはVCバーなど投資家との出会いの場まで提供している。実際、LINK-Jのサポーターを見ると、ベンチャー・キャピタリストやバイオ・ベンチャーの経営者など錚々たるメンバーが参加している。

LINK-Jはそろそろクリティカル・マスを超えつつある段階にあると思っている。
今までは外部の力を巧みに取り込みながら成長してきたが、そろそろLINK-Jのネットワークの内部から、新しい生命科学サービスを創成するスタートアップが、連続的に生まれてくることを期待する。1980年10月、上場に大成功しバイオ産業を築き上げた米Genentech社から、まるでホウセンカの種のように次々と次世代のバイオ・ベンチャーが起業したように。そのためには、LINK-Jは常にオープンであり続けなくてはならない。

21世紀に入り、技術革新のスピードが加速し、その対象領域も急速に拡大している。10年前、大規模言語モデルのAIが、創薬にここまで貢献すると誰が想像していただろうか?イノベーションには多様な個人が相互に触発することが不可欠だ。LINK-Jがバイオに軸足を保ちながら、AI、ロボット、宇宙、核融合、量子コンピューティングなど、異分野と触発する仕組みを構築することが、次の10年の課題なのである。 
 

miyaman_new_.png宮田 満 氏 
東京大学理学系大学院植物学修士課程修了後、1979年に 日本経済新聞社入社。日経メディカル編集部を経て、日経バ イオテク創刊に携わる。1985年に日経バイオテク編集長 に就任し、2015年に株式会社宮田総研を設立、新Mmの憂 鬱などメディア活動を開始。2017年、株式会社ヘルスケアイノベーションを設立、2020年6月よりバイオ・先端医療関 連のベンチャー企業に投資を開始した。厚生労働省厚生科 学審議会、文部科学省科学技術・学術審議会、生物系特定 産業技術研究支援センターなど、様々な公的活動に従事。

pagetop