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インタビュー・コラム

【News Letter vol.21】スタンフォード大学における"サバイバル"キャリア形成

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NewsLetter_vol.21.png この投稿記事は、LINK-J特別会員様向けに発行しているニュースレターvol.21のインタビュー記事を掲載しております。
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日本で医師として臨床現場に出た後、30代で渡米。スタンフォード大学医学部にて、その後のキャリアを積み重ねた2人の日本人がいます。睡眠研究の第一人者・西野精治さんと、数多くの医療機器の開発プログラムに参加し、日本版バイオデザインの立ち上げに尽力したことでも知られる池野文昭さんです。家族ぐるみで食事をする間柄でもあるお二人に、スタンフォードにおけるキャリア形成と競争の事情や同大の魅力、これまで同大で培った知見を日本へ還元する取り組みなどについて話を伺いました。

功績が認められたとき、新たなポストが創出される

――お二方とも"スタンフォード大学で活躍する日本人"として知られる存在ですが、それぞれがどのようにスタンフォードでキャリア形成されたのかは、読者も興味のあるところです。その経緯を詳しくお話しいただけますか。

西野 私は一旦は研修医として臨床現場に出たのち大学院に入学し直し、1987年、大阪医科大学大学院4年生のときに、生化学の第一人者で当時学長だった早石修先生の紹介で、客員研究員としてスタンフォードに派遣されました。研究は、遺伝性・家族性の睡眠障害「ナルコレプシー」の原因究明。レム睡眠を発見したデメント教授のもとでイヌの実験データを取り、研究していました。ところが予定の6カ月を過ぎても成果が出せず...。「このまま帰国しては後悔する」と滞在を延長し、2年目で目的を達成しました。思えばここで成果にこだわったことが、後のキャリアに繋がっています。

帰国準備をしていた最中に大学から残ってほしいと言われ、以来滞在延長が30数年になりました。当初はポスドクからスタートしましたが、スタンフォードで研究を続けたいなら学内外の研究者の競争を勝ち抜き、ラボのPI(主任研究員)やファカルティ(教授陣)をめざすしかありません。

実はアメリカでは日本と違って、大学からラボの運営費は一切出ません。研究者自身が、アメリカ国立衛生研究所(NIH)などの政府機関もしくは企業から研究助成金を獲得する必要があり、ラボ運営費――すなわち自分と研究員・事務員の給与、実験機器、その他PC等必要経費などを賄うメドが立って初めて、大学側もラボの立ち上げを認めてくれるのです。研究助成金申請は、研究テーマや社会的意義に加え実現可能性も厳しく問われ、申請書類は膨大かつ詳細なものになります。私の場合は、忙しいデメント教授に代わってポスドク時代から研究申請書を作成していた経験があり、ヒトのナルコレプシーの主たる発生メカニズムを突き止めた業績もあったため、NIHの研究助成金も獲得でき、2005年、スタンフォード内に「睡眠生体リズム研究所」の所長という新しいポジションを創出することができました。

その2年後には学内選考会を経てファカルティにも選ばれ、現在に至ります。このように、渡米後の私は結果的には、アメリカの研究者の王道のキャリアパスを歩んだと言えるでしょう。しかし、アメリカでのキャリアパスやラボの運営方法について何も知らずに渡米した身としては、日本との違いに戸惑いながら、手探りの中で前進してきたというのが実情です。

池野 僕のキャリアパスは、リサーチでサバイブした西野先生とは違い、前例のないものと自認しています。自治医科大を卒業してから9年間、僻地医療を含む地域医療に携わった後、恩師からの声かけで2001年4月にポスドクフェローとしてスタンフォード大学に赴任しました。アメリカ文化を楽しむつもりで渡米したんです。仕事は、医学部循環器科での動物実験。人間と似ているブタの心臓を用いて、ステントやバルーンカテーテルなど開発中のさまざまなデバイスの評価を行うのです。エリートはやりたがらない、キャリアパスにならない仕事です。

でも、「世の中を変えるデバイスを開発する」という夢に向かって真剣に挑戦している医療機器ベンチャーの姿勢に心を打たれ、そのサポートをする仕事に僕自身も生きがいを感じて、毎日ブタの実験に明け暮れました。ところが月日が経つにつれ、日本の大学から派遣されている周囲のエリートたちのキャリアと自分のキャリアに歴然とした差を感じ、焦りが出てきました。そこで取り組んだのが、デバイス評価をまとめた論文執筆です。ポスドクの評価は論文の数で決まりますので。僕はMDだったのでそれまで論文の重要性をあまり認識していなかったのですが、仕事仲間である医療機器エンジニアはみなハーバード大学やマサチューセッツ工科大学卒でPhDを持っており、論文の重要性や書き方のポイントを熟知しています。彼らがデータ提供など惜しみなく協力してくれたおかげで、僕は次から次に論文を書きました。

その成果が大学から認められ、渡米から3年後のポスドク終了時に、ポストを作るから残るよう言われたのです。これまでにシリコンバレーで関わった医療ベンチャーは200社以上。その経験から、世の中を変えるアントレプレナーの育成が重要だと考えるようになり、研究と並行して2014年からは医療機器分野の起業家養成プログラム『Biodesign』のファカルティを務めています。また日本国内でも10以上の大学で客員教授などを務め、政府や地方自治体、企業のアドバイザーも引き受けるなど、目の前のやれることを夢中でやっているうちに、今のキャリアが積まれたというわけです。

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池野 文昭 氏

――お二方は全く異なるキャリアパスを歩まれたのですね。西野先生、アメリカの大学研究室運営の実情をもう少し詳しく教えていただけますか?

西野 日本では大学ごとに国の研究費が割り当てられ、それが各研究室にも分配されますが、アメリカでは先ほどもお話ししたように、PIが自分でラボの運営資金を外部から調達しなければなりません。研究室の立ち上げは起業に等しく、PIはさながら零細企業の社長のようなものです。研究をするかたわらリクルーティングもしなければいけません。生物系研究室の年間の運営費は最低5000万~6000万円で、たとえば運営費5000万円を国や企業の助成金で獲得した場合、その約6割に当たる3000万円が上乗せされて支払われ、上乗せ分は大学に間接経費として入る仕組みになっています。助成金は通常2〜5年分のため、研究室を継続させるには都度、更新のための審査を受けます。仮にその研究を続ける価値がないとみなされれば助成金は打ち切られるため、研究室を存続させるのもサバイバルなのです。ユニークなのは、研究申請の審査の多くが権威ある教授陣ではなく、その前年や前々年に助成された若い研究者である点。私も経験しましたが、審査自体が膨大な資料を読み込んでその実現可能性を分析・判断する仕事で、若い研究者の鍛錬の場になっています。

自由と多様性とパッション。
スタンフォードの空気が成功を呼ぶ

――近年のお二方の活動を拝見していると、池野先生はスタンフォード大学で開発された教育プログラム『Biodesign』の日本版を立ち上げられ、西野先生は日本人研究者を受け入れたり著書を出版するなど、ご自身がスタンフォードで得た知見を日本に還元する取り組みをされています。どのような想いから日本回帰に至ったのでしょう?

池野 きっかけは2011年の東日本大震災でした。自治医科大学卒で学費を免除していただいた身なのに、大惨事に日本国民に貢献できないという、やるせなさを感じました。それで日本の未来を良くするために何ができるか考えたとき浮かんだのが、『Biodesign』の日本展開だったのです。未来をつくる原点は人ですから、起業家精神を日本の若い人に知ってもらうことはとても大切です。『日本版Biodesign』を立ち上げるにあたっては、ボトムアップでは限界があるため、トップダウンで展開すべく、行政に対して発信力のある方々のお力をお借りしました。たとえば当時の日本医療機器産業連合会の会長ならびに日本医療機器テクノロジー協会の理事だったテルモの中尾浩治会長をはじめ、大阪大学、東京大学、東北大学の学長、教授、大学病院長などなど。人を介して初めてお会いした方がほとんどでしたが、みなさん快く賛同してくださり感謝しかありません。紹介してくださる方――Knowing whoの大切さをつくづく感じた一件でした。

西野 日本人研究者受け入れについては、以前から積極的に行ってきました。日本の睡眠研究は、アメリカと比べ10〜20年遅れていたからです。ただ最新情報をそのまま日本に持ち帰るのではなく、"何かを生み出す力そのもの"をスタンフォードから持ち帰ってほしいと願いながら、人材育成に努めてきました。出版については、年齢を重ねるにつれ「社会に役立ってこその研究だ」という想いが強くなり、取り組み始めました。2017年に『スタンフォード式 最高の睡眠』という本を出して以来、数冊の本を日本で上梓しています。最初の本は編集者のアドバイスに従い、「受容体」や「レセプター」といった難しい単語を使わず書いたところ、多くの人に読まれました。次に出した本では専門的な言葉も取り入れて執筆しましたが、売れ行きはさっぱり...。睡眠の重要性を社会に周知させる目的のためには、わかりやすさがポイントだと気付かされ、以来、心掛けています。今日お話ししている内容などを詳しく記した『スタンフォード式お金と人材が集まる仕事術』も、2020年に出版しています。

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西野 精治 氏

――スタンフォードには、最新の情報や技術を求めて研究者以外にも日本企業から人が派遣されています。そういったビジネスパーソンが情報を得るための極意などはありますか?

池野 今の時代、表面上の情報であればネットで入手できます。しかし深層の情報を得るには、2つの方法しかないでしょう。すなわち、長くスタンフォードにいて中の人=「インサイダー」になるか、give & give & give & no takeを続けることです。しかし日本企業の姿勢はtake & take & take & no giveのため、せっかくこちらに来ても何の情報も得ていないように見えます。相手にgiveし続け、価値ある人間だと思われると、そのうちいつか自分にもtakeが返ってくるものです。僕の場合は、医療機器の評価でベンチャーに貢献したことで、彼らのインサイダーになれました。企業の場合、giveできる最大の価値は投資なので、CVCやLP投資をすることが情報を得る近道になるでしょうね。

――最後に改めてスタンフォード大学の魅力や存在意義をどのようにお感じになっているか、お聞かせください。

西野 スタンフォードの校風は、「自由の風が吹く」。独創性や多様性を大切にし、教授陣も気さくで敷居が低い。ノーベル賞受賞者のロジャー・コーンバーグが、「何を研究しているかわからない人間がたくさんいる。これがスタンフォードの強みだ」と語りましたが、この言葉に尽きます。しかし自由ということは、半面、責任を伴うということで、結果が伴わなければその責任は自分に跳ね返ってきます。仕事を作る、人とお金を集める、成果を出せるよう計画を立てて実行する。それを、自発的に行い、成果主義でサバイブできる池野先生や私のようなタイプの人間にとっては本当に魅力的な場所だと感じます。

池野 大学はノウハウを教える場所であり、友達を作る場所でもありますが、もう一つ大事なのはマインドセット――志やパッション、ミッションも含めて――教え込む場所だと思っています。「仏作って魂入れず」ではダメなんですね。その点、スタンフォードは魂を込めることに非常に長けた大学です。その気にさせる、熱いものを持った学生を育てるのがうまい教育者が集まり、教育システムが機能している。マインドセットは、その場所で空気や喜怒哀楽を一緒に分かち合うことで生まれてくるものです。そのような大学が街の中心にあるからこそ、シリコンバレーとその周辺のエコシステムの中にも、社会問題の解決に本気で取り組む空気が存在するのでしょう。そしてパッションがあるから成功を呼び込む。僕はそう思っています。日本の大学や企業は狭い日本の中での競争に目を向けがちですが、一度日本の外に出てみるとマインドセットが変わるはずです。若い人には特に、地球規模の視野を体感して、日本の未来のために貢献してほしいと願っています。

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nishino.jpg西野 精治氏 スタンフォード大学医学部精神科教授 同大学睡眠生体リズム研究所所長 株式会社ブレインスリープ最高研究顧問 医師、医学博士

1955年大阪府生まれ。1987年、当時在籍していた大阪医科大学大学院からスタンフォード大学に留学。2000年、グループの中心としてヒトのナルコレプシーの主たる発生メカニズムを突き止める。2005年、ラボ所長に就任。睡眠・覚醒メカニズムを分子・遺伝子レベルから個体レベルまでの幅広い視野で研究している。2019年、睡眠に特化した企業へのコンサルティングやITを活用したサービスなどを手掛ける株式会社ブレインスリープを設立、最高研究顧問を務める。著書に『スタンフォード式 最高の睡眠』(サンマーク出版)など。

ikeno.jpg池野 文昭氏 Stanford Biodesign, Stanford University Program Director (U.S) Japan Biodesign MedVenture Partners取締役 医師

浜松市出身。自治医科大学卒業後、9年間、僻地医療を含む地域医療に携わった後、2001年からスタンフォード大学循環器科での研究を開始。以後、200社を超える米国医療機器ベンチャーの研究開発、動物実験、臨床試験等に関与する。創業時から関与し成功したベンチャーも多数。ベンチャー、医療機器大手も含む、同分野での豊富なアドバイザー経験を有し、日米の医療事情に精通している。また、医療機器における日米規制当局のプロジェクトにも参画し、国境を超えた医療機器エコシステムの確立に尽力している。スタンフォード大学では、研究と平行し、2014年から、医療機器分野の起業家養成講座『Biodesign』で教鞭をとっており、『日本版Biodesign』の設立にも深く関与。
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