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イベントレポート

2020年度 山本雄士ゼミ 第二回 を開催(5/23) 

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5月23日(土)にオンラインにて「2020年度 山本雄士ゼミ 第二回」を開催いたしました。(主催:山本雄士)国内外から約60名の方にご参加いただき、今回初めてのオンライン・ケースディスカッションであったにも関わらず、通常開催と変わらない非常に活発な議論と学びの得られた会となりました。

山本ゼミ 5月.png

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ケースの紹介 Ledina Lushko: Navigating Health Care Delivery

頭痛と腹部膨満感を主訴にジョンソン・メモリアル病院を受診したレディナ・ルシュコーは、外来で診断がつかず検査入院となります。入院中、レディナとその娘エリザは、複数の専門診療科による診察と検査を受け、肺転移を伴う副腎皮質癌と診断されます。時には互いに矛盾する治療方針を提案されつつ、他院にもセカンド・オピニオンを求めた末、ルシュコー一家は手術の方針を選択。術後化学療法の種類を選ぶ際にも、医師たちが提案する複数の方針の中から、ルシュコー一家は最善の治療を求めて選択を続けていきます。診断から1年半後、手術と化学療法を経て、レディナは自分の受けた診療を振り返ります。「これは最善の治療だったのだろうか?もっと良い治療を受けられたのではないだろうか...?」

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議論は多岐に渡りましたが、特に以下が主要な論点となりました。

-どの業界にもあることだが、医療でも提供側の論理や文化に染まり、顧客(患者さん)と全く異なる目線で物事を見るようになってしまっている。

このケースでは、外来初診の予約を取れたのが2ヶ月先だったり、医学的管理を必要としない状態なのに検査を迅速化する目的だけで入院になったりと、サービスを受ける側にとっては「なぜ?」と思ってもおかしくない場面がいくつか登場します。みなさんは、「病院ってそういうものだよね」と医療提供者の文化に呑み込まれてしまっていないでしょうか。

患者さんの立場に没入してみると、どんなサービスを良いサービスと思うでしょうか?このケースのように、患者さん自身が最善の治療を求めて4つの病院を渡り歩かなくとも、どの病院のどの医師がベストの治療をしてくれるのかすぐに分かる方が良いサービスなのではないでしょうか。

例えば、「病気」について医療提供側と患者さん側の認識は往々にして大きく異なります。患者さん側は「その病気によって日常生活にどのような影響があるか」といった目線で捉えます。一方、提供側は専門職教育の中で疫学・病態・治療法などにフォーカスを置いた目線を持つようになり、患者の日常生活に関わる目線は学びません。同じ「病気」という言葉でも、双方で捉え方が根本的に異なっているので、医療現場ですれ違いが生じてしまうのです。

-医療をサービスの類型として見る視点を持つ必要がある。今の病院組織は、臓器ごと、フェーズごとの分類になっている。

現在の病院組織は、「消化器系」「循環器系」といった臓器ごとの分類や、「急性期」「回復期」「慢性期」といった疾病フェーズごとの分類が支配的論理です。

しかし考えてみれば、本ケースの副腎皮質癌のように、「診断も治療も一定の方針がなく、診断に関する仮説を立てながら手探りで治療を行っていく」疾病もあれば、COVID-19のように「診断はクリアカットにできるが、治療に一定の方針がない」疾病も、骨折のように「診断がクリアカットにできて、かつ治療にも確立された方針がある」疾病もあります。このような医療サービスの手順やコミュニケーションのプロセスに焦点を当てて、病院組織を組む例はほとんどありません。

この背景として、医師をはじめとする専門職が臓器別の教育を受けることが大きいかもしれません。教育においてはその効率から人体の機能別に教えるのは合理性がありますが、しかしそれはサービス設計の枠組みとは異なることを認識する必要があります。

-医療サービスの類型化を行わずに、「あらゆる人にあらゆる診療を」提供しようとする総合病院のビジネスモデルは経営合理性に乏しい。

ビジネスの人間が医療業界を見るとき、「誰にどのようなサービスを提供するのかを絞れば絞るほど、良い医療サービスが提供できるのではないか」という点が往々にして指摘されます。あらゆる人にあらゆる診療を提供しようとする総合病院のビジネスモデルは、聞こえとして良いのは確かです。

しかし、経済合理性という視点で見た場合、いつでも誰でも受け入れられるように医療機器などに大きな設備投資をする必要がありますし、網を大きく構えているので少数の患者さんにしか使われない設備が生じ、その稼働率は下がります。結果として診療コストが高くなります。

また、診療の質について見た場合、医師は自分の技術を高めようと思ったら、似た症例を多く診療して経験を蓄積するのが一番の方法です。病院側が特定の診療サービスに特化して、その分野で優れた医師を集めて優れた実績を出し、評価を確立できれば、転じて患者さん側も「この疾患だったらあの病院に行けばいい」とわかるようになり、今回のケースのように複数の病院を渡り歩く必要もなくなるはずです。

確かに、総合病院に所属する1人の医師に聞けば、「この疾患の症例経験を積みたい」という答えが返ってくるのですが、100通りの答えをする100人が1つの総合病院に収まっているので、組織全体としてターゲットとする患者さんの層を絞れないことになっているのです。

-医療業界は熱意のある人が大半を占めている。このような熱い業界は他にはない。しかし個人の努力の総和を組織としてのパフォーマンスに変換する過程が弱い。ここにこそマネジメントの取り組むべき課題がある。

このケースでは、意図的にサボる医師や悪意を持った医師は一人として登場しません。これは現実の医療業界でも同様で、ほとんどの病院組織は各々のベストを尽くす尊敬すべき医療者で構成されています。

しかし、そこまでベストを尽くしているのに、往々にして、仕上がりとして提供されるサービスのアウトカムが測定されていなかったり、患者の満足とは遠いものになっているのも現実です。ここで重要なのは、個人が最善の努力をすることと、組織としてベストの結果を出すのは異なるということであり、このギャップにこそマネジメントの取り組むべき課題があるということです。

例えばこのケースでは、ジョンソン・メモリアル病院のジョーンズ医師が、医療提供者とルシュコー一家のコミュニケーションの仲介を、業務外ながら積極的に引き受けています。ジョーンズ医師個人としては患者さんのために最善の努力をしている一方、このような「個人の業務外での頑張り」に期待するのは健全な組織とは言えません。そこで経営者目線では、「ジョーンズ医師の仲介は顧客のためになっているが、彼の本来の仕事はそこではない。仲介の仕事はそれを担う別の人間か新しい組織に担当させる」という見方をします。

このように、自分が最高の知識や技術を身に付けて実践するのは素晴らしいことですが、診療としての実践の継続性・発展性・拡大可能性に直面したときに、マネジメントの視点が必要になってきます。それを端的に表しているのがこのケースなのです。

-これまでに挙げた諸課題を解決を阻んでいる壁は、「目の前の状況を適切な課題設定に落とし込めないこと」「課題設定ができても、それを解決する方法がわからないこと」にある。要は基本的なマネジメントスキルの不足である。

現在の医学や病院経営学には、上記の諸課題を解消する学問体系はまだありません。これに立ち向かうために経営管理学があるのですが、専門職として病院に入れば病院の価値基準に染まり、経営管理学という分野とその道のプロがいることそのものを知らないままになってしまいます。それどころか、往々にして「経営管理なんて誰でもできる」と考え、マネジメントの失敗に陥ってしまいます。

課題解決は、「目の前の状況を適切な課題設定に落とし込むこと」から始まります。目の前の困った状況は「症状」であり、その背景にある根本原因としての「疾病そのもの」を「診断」しなくてはいけません。

しかし現状では、個人の最善の努力の総和と組織としてのパフォーマンスのギャップを埋めることのできる場が最前線の現場しかなく、患者さんにとっても医療者にとっても非常にもったいないこととなっています。今後のゼミでは、この「現象から課題設定へ、そして課題解決へ」という流れを、アメリカの病院などでの実際の事例をもとに、主人公のCEOになったつもりで追体験していきます。

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最後に、今回はケースディスカッションに加えて、プレゼミと懇親会もオンラインで行い、今後のオンライン開催の安定的な運営に一定の目処が立ちました。懇親会については、数名の小グループ間を参加者全員が自由に移動可能とする、リアル懇親会に近い運営を実現できました。

6月以降の日程と開催方式については現在検討を行っております。詳細のリリースは今しばらくお待ちください。今後も山本雄士ゼミをよろしくお願い申し上げます。

(文責:2020年度ゼミ長 金井祐樹)

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