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インタビュー・コラム

第12回 日本橋コラム 西の「くすりの街」大阪道修町で信仰を集める少彦名神社

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東京日本橋には、医薬品関連企業で働く人々からの信仰を集める薬祖神社があります。同じように、大阪道修町にも薬の神様をまつった「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」が建っています。少彦名神社は日本の薬祖神である「少彦名命」と、古代中国の歴史に登場する皇帝で、中国の薬の神様として信仰されている「神農」を御祭神とする歴史ある神社です。医薬の祖神として、その業務に関わる人々にあつく崇拝されてきました。 今や病気平癒・健康成就の神社として、西のくすりの街・道修町のシンボルとなっている少彦名神社の歴史を紐解いてみましょう。

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少彦名神社(大阪府大阪市中央区道修町)

命に関わる薬を正しく扱うために、神様に祈願

道修町の人々は、人の命にかかわる薬を商う者として、取り扱う薬種が本物かどうかや、品質の良し悪しの吟味などを、神のご加護によって正しく遂行できるよう祈願してきました。近世中期以降は、医薬の祖神である神農の信仰が広まっており、道修町の薬種商の家々でも、 神農の掛け軸をかけて拝んでいたといいます。また、享保18年(1733年)には薬種中買仲間の親睦団体である「伊勢講」が結成され、薬種商が掛金をして、その費用で伊勢神宮に参拝し、祈願をしていました。

安永9年(1780年)には、「少彦名命」を京都の五条天神社から分霊勧請し、道修町の薬種中買仲間の寄会所に、すでにおまつりしていた神農氏とともにおまつりするようになりました。一説によれば、伊勢神宮参拝が続くにつれ、だんだんと大層なものになったので、朝廷の崇拝もあつく由緒ある五条天神社から、医薬祖である少彦名命を神霊としてお迎えしたのだといわれています。

しかし、すでに神農をおまつりしていたところに、なぜ少彦名命を勧請したのでしょうか。諸説ありますが、当時は和薬腫の生産が唐薬種をしのぐほどさかんになっていたことから、従来から信仰されていた神農に加えて、日本の薬祖神もおまつりし、和漢両薬ともにさらなる発展を願おうという意向が働いたとされています。また、あらたに神様をお迎えすることで、薬種中買仲間の団結を強め、仲間うちで不正行為などが生じないようにという願を込めたとも考えられています。

残念ながら、道修町は天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱により兵火を受け、寄会所も消失したため、天保11年(1840年)に寄会所の庭に小さな社を建てておまつりしました。

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少彦名神社の境内

医薬に関わる人々によって守られた神社

明治39年(1906年)、政府の神社合祀政策により、この社も他社に合祀か、独立するかという決断を迫られますが、独立の道を選び、明治43年(1910年)には境内を拡張、社殿などを新築しました。現在の少彦名神社では、明治5年(1872年)の株仲間解散後、明治17年(1884年)に組織された「薬祖講(やくそこう)」の人々が祭典の運営にあたっています。

ちなみに神社の名前が「少彦名神社」となったのは、明治政府の宗教政策が影響しているようです。神仏分離令、廃仏毀釈令が出され、異国の名を持つ神農は蕃神とみなされたため、少彦名命のほうを社名にしたのではないかと考えられています。

大阪を代表する祭礼「神農さん」と張り子の虎

少彦名神社では、毎年11月22日、23日に「神農さん」と呼ばれる例祭があります。大阪の1年を締めくくる「とめの祭り」として、年中行事のひとつとなっており、毎年多くの人でにぎわいます。

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少彦名神社 例大祭「神農祭」

このお祭りで欠かせないのが「張り子の虎」です。おなかに「薬」の朱印が押された愛らしい張り子の虎を、五葉笹という、枝分かれせずに節から5枚の葉が出た笹につけた縁起物で、例祭の二日間に限って授与されます。いつごろから授与されたのかは記録にありませんが、おそらく文政5年(1822年)に大阪で流行したコレラがきっかけではないかと考えられています。このとき、道修町の薬種中買仲間は疫病除け薬として「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という丸薬をつくり、人々に施与しました。この薬は、「鬼も避く」といわれる虎の頭骨をはじめ和漢薬を配合したもので、肌に添えても、いぶして室内の消毒に使っても、飲んでも効くといわれました。実際の効能はともかくとして、虎は百獣の長で、鬼を食い、病気になったらその皮を焼いて飲むとよい、などと考えられていたため、丸薬も張り子の虎も、こうした由縁によるものだと思われます。

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「張り子の虎」絵馬

張り子の虎は、昭和50年ごろまでは無料で配られ、詰めかけた参詣者が「おっさん虎おくれんか」と叫んでいたため、「虎おくれんか祭」とも呼ばれていました。家内安全・無病息災のお守りとして、道修町の医薬品企業は得意先にも配布しています。道修町近くにあるLINK-Jの新拠点・ライフサイエンスハブウエストの壁にも、張り子の虎の絵が描かれています。きっと、今後の医薬品業界の発展を見守ってくれることでしょう。

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大阪・関西の新拠点「ライフサイエンスハブウエスト

医薬をつかさどる人々によって、大切に受け継がれてきた少彦名神社。道修町の歴史に思いをはせながら、ご参拝してみてはいかがでしょうか。

参考文献

小林公子「道修町と神農祭―都市同業組織の信仰」(『歴史民俗資料学研究』第13号 20083月)
「湯島聖堂『神農祭』と少彦名神社『神農さんのお祭り』の比較の検討」(『日本歯科医史学会会誌』第18巻 平成49月)
『道修町』(1954年 薬業往来社)

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