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インタビュー・コラム

第10回 くすりの街に建つ「日本橋ライフサイエンスビルディング」の歴史

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「くすりの街」日本橋で、ライフサイエンス領域の人々に交流の機会を提供し、ベンチャー企業育成にも取り組むLINK-J(一般社団法人ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン)。LINK-Jが入居する、日本橋本町の「日本橋ライフサイエンスビルディング」には、LINK-J会員が利用できるコミュニケーションラウンジや、シェアオフィス、カンファレンスルームが整備されています。風格のある外観、竹林に囲まれたエントランスが印象的なこのビルにも、「くすりの街」の歴史の一部を担う、興味深い歴史がありました。

LINK-Jが入るビルにも「くすりの街」ならではの歴史あり

日本橋本町は、徳川家康が江戸にやって来た天正18年(1590年)に、最初に町割がおこなわれたという由緒ある町です(第1回 日本橋本町はなぜ「くすりの街」になったのか<江戸時代編>)。江戸時代には薬種商が集まり、関東の薬品取引の中心地になりました。その歴史は連綿と引き継がれ、今もそぞろ歩けば、アステラス製薬、第一三共、武田薬品工業など、さまざまな製薬会社のビルが建ち並ぶのを見ることができます。

現在、LINK-Jが拠点を置く「日本橋ライフサイエンスビルディング」も、その前は山之内製薬の本社ビルでした。もともと、そこには原材料貿易公団のビルがありましたが、昭和25年(1950年)5月に公団が解散。公売されたそのビルを山之内製薬が落札し、本社を移転したのです。

山之内製薬創業50周年を記念し、最先端のビルを竣工

その後、山之内製薬の創業50周年を記念して、新しいビルが建設されることになりました。総工費約28億円、2年間の工期を経て、昭和50年(1975年)9月、地上11階、地下3階建ての新社屋が竣工。室内に柱が全くない「大架構方式」という当時最新の技術を駆使して建設されたこのビルは、蔵書5,500冊を誇る図書資料室をはじめ、情報技術機器などを配した役員会議室「デシジョンルーム」など、先端的な機能性を備えていました。10階にある社長室は、正面にやや張り出したつくりが特徴で、素晴らしい眺望を楽しむことができたといいます。

また、ビルの正面入口には、100本ほどの若竹が植えられました。ビルの地下1階から地上2階まで伸びる竹林は、外からだけでなく、地下にある社員食堂からもその美しい姿が眺められ、ビルのシンボル的存在でもありました。

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地下1階から伸びる竹林
(山之内製薬社報『協同』(1975年 山之内製薬株式会社)より)

ライフサイエンス・ビジネスの拠点にふさわしくリノベーション

平成17年(2005年)、山之内製薬は藤沢薬品と合併し、「アステラス製薬」へと屋号を変えます。このビルも、アステラス製薬の本社ビルとして引き継がれました。

それから8年が経った平成25年(2013年)、アステラス製薬の本社が近隣に移転することが決まり、このビルが空くことになりました。そこで、三井不動産がこのビルを有効活用して、これから立ち上げるLINK-Jの拠点とすることにしたのです。ビルは、柱のない200坪の広々としたフロアで、40年という年月を経ても耐震性に問題がなく、外観も良好。ならば、ライフサイエンス関連の用途で利用できるようリノベーションし、歴史あるこのビルを後世に残そうと考えました。

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日本橋ライフサイエンスビルディングの入口(左:山之内製薬、右:アステラス製薬)

新たにこのビルに入居するLINK-Jは、産官学やベンチャーの結節点となり、ライフサイエンス領域での「オープンイノベーションの促進」を図ろうとする組織。それにふさわしいものにすべく、リノベーションは「イノベーション創出」をコンセプトに進められました。LINK-Jの会員企業、中でもベンチャーや中小企業、業界団体、学会を誘致することを想定し、使いやすさを追求。現代のライフサイエンス・ベンチャー・ビジネスに必要とされるものをそろえ、機能面を充実させました。また、共用部を増やし、様々なプレイヤーが集い、コミュニティが生れる場を目指して整備を行いました。

「残しながら」「蘇らせながら」「創っていく」ビルのかたち

内装に手を入れ、「日本橋ライフサイエンスビルディング」として新しく生まれ変わったビルは、風格ある趣を残しつつ、時代の流れに応じて機能を充実させ、進化しています。

▶2階はかつて150席のホールで、山之内製薬の入社式が行われたこともあります。ここはそのまま残され、現在では201大会議室として使われています。赤を基調とした雰囲気は、建設当時と変わっていないそうです。

LSB_201.jpg日本橋ライフサイエンスビルディング2階201大会議室左:昔、右:現在、)

▶正面玄関横にある、地下1階から地上2階まで伸びる竹林は、建設当時から変わらぬ姿で受け継がれています。立派な竹林は、タクシーで乗り付ける際の目印にもなっていたそうです。

▶山之内製薬時代は地下1階に280人を収容できる広さの社員食堂がありました。社員食堂は正面がガラス張りになっていて、若竹を眺めながら食事を楽しむことができ、「日本橋の素敵なレストラン」という雰囲気があったといいます。現在、地下1階にはシェアラボ「Beyond BioLAB TOKYO」と、LINK-J会員が利用できる会議室がオープン。落ち着いた雰囲気の中で研究開発ができるようになっています。

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現在の地下1階会議室から見たシェアラボ

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山之内製薬本社ビルの概略図
(山之内製薬社報『協同』(1975年 山之内製薬株式会社)より)

▶1階のロビーには、奥にLINK-J会員が利用できるコミュニケーションラウンジが設置されています。

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1階ロビーの様子
(山之内製薬社報『協同』(1975年 山之内製薬株式会社)より)

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現在の1階ロビーの様子

▶9階は、東京大学、慶應義塾大学、京都大学などさまざまな大学のサテライトオフィスが入っています。ライフサイエンス分野のイノベーション創出に向けて、産学官連携を推進する活動拠点となっています。

▶5階には、ライフサイエンス・ビジネスの拠点となるサービスオフィスがあります。個室ブースから、自由に席を選べるオープンデスクまで、多様なニーズに合わせた環境が整っています。

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5階サービスオフィス

▶かつて役員室やデシジョンルームなどがあった10階は、現在はLINK-Jメンバーが気軽に利用できるラウンジとなっています。メンバー同士の交流の場として、貸し切りで懇親会やパーティなども開催できます。

LSビル_ラウンジ2(仮 推奨).JPG10階コミュニケーションラウンジ

日本橋の街の再生コンセプトは、文化を「残しながら」、かつてのにぎわいを「蘇らせながら」、次世代に向けた新たな街を「創っていく」こと。ライフサイエンスビルも、そのコンセプトのままに再生を遂げ、新たな歴史を刻んでいます。

参考文献
山之内製薬50年史編纂委員会 編集『山之内製薬50年史』(1975年 山之内製薬株式会社)
山之内製薬社報『協同』(1975年 山之内製薬株式会社)

続く >> 第11回「くすりの街」東京日本橋本町と大阪道修町の関わり

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