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Session.1-1:風邪に抗菌薬

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LINK-Jは、次世代のライフサイエンスを牽引する様々なプレイヤーの出会いと学びの場として "LINK-J Sandbox" を設けました。
ここは、医学・医療系のみならず、理学・工学・社会科学・人文科学・デザイン等を学ぶ学生が集い、分野を超えて知的に "遊ぶ" 砂場(sandbox)です。こけら落としとなる最初のセッションのテーマは「風邪に抗菌薬」。学生たちの激論が始まります。

***

大川 隆一郎  慶應義塾大学医学部医学科5年
小野 すみれ  東京工業大学大学院修士1年
織部 峻太郎  東北大学医学部医学科3年
久保 慧悟   東京大学文学部行動文化学科(社会学専攻)4年
荘子 万能   大阪医科大学医学部医学科6年【話題提供者】
外山 尚吾   京都大学医学部医学科3年

平林 慶史  『DOCTOR-ASE』編集長/有限会社ノトコード代表【Moderator】
宮崎 尚     LINK-J参事
清本 美佳    LINK-J事務局

なぜ「風邪に抗菌薬」が問題なのか?

――今回のテーマは「風邪に抗菌薬*1」ですが、医学系以外の人も議論に参加できるよう、簡単に前提となる知識を共有して下さい。

荘子:まず「風邪」とは、鼻腔から喉頭(のどぼとけの周辺)までの上気道に急性の炎症が生じた状態の総称で、「かぜ症候群」とも言われます。その原因は80~90%がウイルスと言われており、細菌感染によるものはごく一部です。


大川:ウイルスと細菌は、同じ微生物でも性質は大きく異なっていて、今回のテーマである「抗菌薬」は細菌にしか効果を発揮しません。さらに、細菌と一口に言っても無数の種類があり、それぞれの菌の構造や増殖メカニズムによって、どの抗菌薬が効きやすいかは異なっています。

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荘子:風邪の原因となるウイルスを抑える薬はないので、ウイルス性の風邪の時はよく休息を取って自身の免疫力に頼るしかありません。抗菌薬ももちろん効きません。発熱や鼻汁・痰などの症状を抑える薬を出すことはあるかもしれませんが。

平林:ただ、風邪の原因を特定するのは簡単ではないので、ウイルス性の風邪であるという確信が持てない以上、細菌性の風邪だった場合のリスクを考えてしまうのではないでしょうか。

荘子:細菌性の場合でもほとんどは自然治癒しますが、稀に劇症化することがありますからね。

外山:抗菌薬を使わないと、どのくらいの患者さんに重篤な症状が出るんですか?

荘子:英国で行われた大規模な研究では、抗菌薬の投与から15日以内に肺炎によって入院する人が、10万人あたり約8.16人減ったという結果が得られました。NNT*2 に換算すると12225となり、抗菌薬を12225人に投与すると、そのうちの1人が15日以内に肺炎で入院するのを防げるということになります。ちなみにこの研究では、抗菌薬の投与による15日以内の有害事象には有意な差は見られませんでした。抗菌薬の副作用の影響は見られなかった、と解釈して良いと思います。

外山:けれど、風邪に対して抗菌薬が処方されることも多いんですよね。

平林:先ほどの英国の研究では、研究対象者の2/3が「抗菌薬処方群」でした。我が国も抗菌薬の使用が少ないわけではなく、様々な菌に幅広く効果のあるタイプの抗菌薬の使用割合が多いという特長があります。

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織部:一人ひとりの「害」の側面で見ればそうですが、抗菌薬の使用にはもう1つ重要なリスクがあります。それがAMR(薬剤耐性)の問題です。抗菌薬を使えば使うほど、それに対する耐性を持った菌が出現する可能性は高まります。実際、アメリカでは耐性菌によって年間2兆円以上の医療費がかかっているという話もあります。


――強い毒性を持った、未知の耐性菌が出てきたら人類全体の危機にもなりますよね。


荘子:まさにそうなんです。ほとんどが自然治癒する風邪に対して抗菌薬を濫用することが、本当に抗菌薬が必要な時に効かなくなってしまうことに繋がるのです。

  • 風邪の約90%を占めるウイルス性風邪には抗菌薬は効かない
  • 細菌性の風邪も10%程度はあるが、抗菌薬によって肺炎を防ぐ効果は12000人に投与して1人に効果を発揮する程度である
  • 抗菌薬を多用することは、薬剤耐性菌を増やすことに繋がる

*1...市井では「抗生物質」という言葉もよく使われるが、微生物が産生するもののみが抗生物質であり、化学合成されたものを含め殺菌・制菌作用を持つ薬物はすべて「抗菌薬」と呼ばれる。
*2...Number Needed to Treat(治療必要数)、その治療を行ったことにより設定したアウトカムをもたらすためには、何人に治療を行う必要があるかを表した数字です。

それでも抗菌薬が処方されるのは何故か?

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小野:ここまでの議論を聴いていると、それでも抗菌薬がたくさん処方されているには、何か理由があるのではないかと感じます。「万が一、細菌性だった時のことを考えて」という以外の理由が。例えば、抗菌薬を出した方が医師にとって経済的にメリットがあるとか。

荘子:今は、抗菌薬を出したからといってそんなに収入にはならないと思います。どちらかと言えば、安い薬が多いですし。

久保:僕は、逆に安い薬だから気軽に出しているんだと思います。例えば、1錠5000円とか10000円の薬だったら、むやみに出さない方がありがたい人が多いでしょう。けれど、1錠数十円の薬だったら、ちゃんと薬をくれる医者の方が、なんかありがたい感じがしてしまうのではないかと。

平林:一般的には、医者に行ったのに「風邪ですね、今日は特にお薬はありません」と言われて、診察料だけ払ったら、なんか損をした気分になってしまうのかもしれないですしね。

外山:近くに、様々な薬を出す医者と、あまり薬を出さない医者がいた時に、患者さんがどちらに行くか...と考えると難しいですよね。真面目に考えて、必要ない薬を出さないようにしていたら、患者さんが減ってしまうかもしれない...。

荘子:この間、医療関係者じゃない人に「風邪はウイルス性が多いので、抗菌薬は出さないんですよ。抗菌薬は細菌にしか効かないし、副作用もあるので、風邪くらいでむやみに飲まない方がいいですよ。」と言ったら、「そりゃそうだよね。じゃあ、代わりに抗生物質をもらえばいいね。」と言われたんです。抗菌薬と抗生物質の関係も理解していない、そこで躓いてしまうんだと思いました。

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――いや、医療関係者じゃなければわからないです。むしろ今までの話を聞いたら、「私の風邪は細菌性かもしれないから、念のため抗菌薬を下さい」と言う人も多いのではないかと思います。そう言われたら、医師としては断れないですよね?

荘子:大規模病院の勤務医なら断れても、地域の開業医だと断りにくいでしょうね。そういうことを言う方とは、普段からのかかりつけの信頼関係が構築できていない可能性もありますし。

織部:僕は、子どもたちに抗菌薬についての啓発活動をした経験があるのですが、彼らにはちゃんと伝わっている感じがしました。終わった後も「風邪に抗菌薬を使う必要はない」という理解はできていたので。ちゃんと考えずに「何か薬をもらおう」と思っている患者と、それに応えて「何かとりあえず薬を出しておこう」と思考停止してしまっている医師が少なくないことも問題だと思います。

荘子:そこは本当に難しくて、「抗菌薬を正しく使おう」という立場の先生は、あなたの風邪はウイルスだから抗菌薬は効かないんですよと、時間をかけて本当に丁寧に説明しているんです。けれど、黙って薬を出せば1~2分で済む所に、10分以上の時間がかかってしまう。他の患者さんも待たせてしまうし、もちろん収入も減ってしまうわけです。かなりの信念がないと、それを貫くのは難しいかもしれません。

平林:やはり医師・患者の双方が、「風邪に抗菌薬は原則として不要」という常識を持たないと、なかなか状況は変わっていかないのかもしれないですね。

  • 診察に訪れた患者に「薬を出さない」ことへの、医師のハードルは高いのではないか
  • 患者側・医師側の双方に「風邪に抗菌薬は不要」という常識が定着することが必要だろう

稀なネガティブ事象のインパクトが大きい

大川:先ほど、12000分の1という話がありました。死亡例はもっと少ないはずなので、風邪で初診に訪れた時に抗菌薬を飲まなかったために亡くなる確率は、より低いと思うんです。それって、飛行機が落ちるという話に似ている気がするんですよ。実際には、飛行機は最も安全な乗り物とも言われていて、車に乗っているよりも事故で死ぬ確率は低い。けれど、稀に起きる飛行機事故ってすごく心に残るんですよね。子宮頸がんワクチンも同じで、疫学的には予防効果があるのは明らかなのに、薬害が疑われる事例が大きく取り上げられて接種は中止になりました。このままだと20年後の日本は、他国でほとんどなくなった子宮頸がんで多くの女性が亡くなる状況を脱せないわけです。

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外山:理性と感情の問題ですよね。頭で理解できることでも、感情を動かしてしまう1つの印象深い事例があると、それに意思決定を左右されてしまう。

織部:抗菌薬でもワクチンでも、全体の利益を優先することによって何万・何十万分の1という確率で有害事象が起きることのインパクトは大きいですよね。もちろん医療者として、多くの人が助かれば1人の犠牲は仕方ないと言って良いのか...という迷いはあります。自分や自分の家族がいざ、そういう状況に置かれた時に、自分自身も冷静に理性的に考えられるかわからないですし。しかし、命に値段はつけられないとは言え、目の前の1人を助けるために、今後多くの人の命を奪うかもしれない耐性菌が増え、数百・数千億円という医療費が費やされることを無視して良いのか?とも思います。

小野:私は、今までの話を聞いていると、医療の進歩で◯◯分の1の分母を増やすことはできても、ゼロにすることは絶対できないと思います。それだったら、今後起きうる多剤耐性菌による害のことを考えていくべきだという気持ちになりました。だから、理性で納得してもらうだけでなく、むしろ感情の部分をうまく解消していくことも大事なのだろうと思います。

久保:関連すると思うんですが、僕は教育実習に行った際に、高校生にトリアージを題材にした授業をしたことがあるんです。

――災害の時に、赤とか黒の札をつけて分けていく...

久保:そうです。トリアージを行った方が多くの命を助けられるから、実際行われているという話もした上で、もし自分の家族が生きているのに、救命確率が低いから治療しませんと判断されたら、納得できますか?という質問をしました。僕自身は「頭ではわかっていても、やりきれないな」という思いを持って出したテーマなんですけど、半分以上の子が「まあ、それなら仕方ない」と納得していたんです。

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荘子:それは、シビアな場面を想像できているかどうかにもよるかもしれませんね。国試形式の問題で、「災害が起こり、瓦礫に子どもが押しつぶされている。そのそばでお母さんが泣き叫んでいて、子どもを引っ張り出してみると自発呼吸をしていない。お母さんは、なんとか治療して下さい、助けてくださいと言っている。では、あなたはこの子にどの色の札をつけますか」というのがあったんです。もちろん、正解は黒札なんですが、その場面を想像すると、黒札をつけることがどれだけ重いことだろうか...と手が震えてしまいました。

外山:そんな場面でも、そのお母さんに納得して、別の助けられそうな人の所に行くことをどうやって納得してもらうか...ということですよね。

平林:何かルールやシステムがなければ、個人としては引き受けられないですよね。

荘子:確かに、診療ガイドラインで「風邪に対して抗菌薬を出すことを奨めない」ということになれば、患者の求めがあっても抗菌薬を出さなくなるでしょうね。

大川:「やる医療」よりも「やらない医療」は難しいですから、多くの人が納得してくれる根拠があれば説明しやすくなるでしょうね。

  • ごく稀であっても、ネガティブな事象が起きると、人の感情に与える影響は大きい
  • 強い感情を前にして納得を得るのは難しいため、ルールやガイドラインが必要ではないか

<中編に続く>

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