メドテック(医療機器、デジタルヘルス、ヘルスケアサービスなど)領域で事業化を検討している、または事業化したばかりの研究者を支援する「メドテックイノベーター発掘プログラム」(プログラムの詳細はこちら)。現在は、ピッチコンテストを経て選出された6チームが、メンタリングなどのプログラムを受講しています。本稿では、6チームの代表者に、事業内容や起業の動機、挑戦したい未来像などについて聞きました。
今回のチームは、バイオデザイン発の技術で人工呼吸管理からの早期離脱に挑戦するVentEase(ベントイーズ)株式会社です。

篠倉 啓純氏(代表取締役)
術後の人工呼吸器からの速やかな離脱を支援する
篠倉 我々は、人工呼吸器からの離脱が困難な患者さんを救うことを目指し、横隔神経刺激デバイスの開発に取り組むメドテックスタートアップ「VentEase株式会社」です。共同創業者であり、心臓血管外科医である玉川友樹さんと2人で2024年8月に起業しました。さらに現在は、経験豊富なエンジニアである吉野和卓さん、西尾道夫さんの協力を得ながら、試作品の開発を進めています。すでに動物実験による基本原理の検証は終了しており、7年後の製品上市を目指しています。
——「人工呼吸器から離脱できない」とはどういう状態ですか?
篠倉 心臓手術などでは、人工呼吸器を用いて術中・術後の管理として人工呼吸器による呼吸補助が行われますが、多くの患者さんは、術後すみやかに人工呼吸器から離脱できるのに対して、中には人工呼吸器管理を続けることで患者さん自身の呼吸機能が低下し、長期にわたり人工呼吸器を外せなくなるケースも起こります。しかし人工呼吸管理の期間が長引くと、肺炎などの合併症を起こしたり、場合によっては命を落とす事もあります。患者さんのご家族は落胆するし、医師も「原疾患は治療できたのに…」と悔しい思いをされています。
これは日本だけでなく、世界レベルでの課題なのですが、有効な解決方法がないのが現状でした。そこで我々は、この“人工呼吸器からの離脱困難”という課題に対し、カテーテル型の電極デバイスで横隔膜の神経に電気刺激を与えることで、呼吸筋機能の維持・改善を図るという新しいアプローチです。具体的には、横隔膜(胸郭下部にある筋肉で呼吸を担う)神経に電気刺激を加えることで、呼吸筋の維持および横隔膜の収縮を促し、人工呼吸器からの速やかな離脱を促進します。我々のデバイスを使用することで、呼吸機能を維持し、患者の早期退院と医療現場の負担軽減を両立させたいと考えています。
——現在はどこまで開発が進んでいますか?
篠倉 動物実験による基本原理の検証を終え、特許も出願しています。現在はコンセプトを製品化するために試作を繰り返しながら、具体的な医療機器に設計するための仕様策定を進めています。我々の製品は構成要素が多く、難易度の高い開発が求められます。わたしも玉川さんもエンジニアリングの経験はないので、吉野さんたちの協力のもと、さらに共感してくださる多様なメンバーを加えながら、開発を進めています。

きっかけは大阪大学「バイオデザイン」への参加
篠倉 もともとわたしは、製薬メーカー、医療機器企業などで長年働いており、医師と接する機会も多かったことから、医療現場がいま本当に直面している課題に、既製品では対応できない現実を見てきました。とある医師との出会いが、今も忘れられません。その医師は、アンメットニーズを解消する革新的な技術を自ら開発し、社会実装を目指していました。しかし、どれほど熱意があり、現場にとって有益な技術であっても、薬事や資金、製造体制、販売体制など、多くの壁が立ちはだかり、描いた未来の実現には至りませんでした。一人の医師が「患者さんのため、日本の医療のため、日本の経済のために」と懸命に挑んでいたその姿に強く胸を打たれました。このとき私は、「医師に製品を売る」だけでは、医療は変わらないと痛感しました。
そして、医師と共に、本当に必要とされる製品を、社会に届ける側に立ちたいと考えるようになったのが2014年でした。ただ、そのときはまだ、どう動けばいいのか分からずにいました。2022年に当時勤めていた会社でアサインされたプロジェクトを通じて、スタンフォード大学発のバイオデザイン・イノベーション・プロセスに出会い「こんな方法があったのか!」と衝撃を受けました。そのプロジェクトで一緒になった同僚が、バイオデザインを本格的に学べるプログラムを紹介してくれました。それが「ジャパン・バイオデザイン・フェローシップ」という人材育成プログラムでした。家族に相談し、当時勤めていた都内の会社を退職し、地元・吹田に戻り、ジャパン・バイオデザイン(大阪大学)のフェローとなり、医療機器開発の世界へ飛び込みました。
——「バイオデザイン」プログラムはいかがでしたか?
篠倉 正直、個人的にはとても大変でした。従来の医療機器開発はテックプッシュ、すなわち新規技術を出発点に社会応用を模索します。それに対して、「バイオデザイン」はニーズドリブン、つまり最初に現実社会の医療課題を抽出して、潜在的なニーズに落とし込み、それを解決する技術を模索するという手法です。私が参加した時期はコロナ禍ということもあり、限られた時間の中で臨床現場を観察し、そこから200以上のニーズを絞り出しました。大阪大学ではこのニーズ探索のフェーズを非常に重視していました。膨大な時間と労力をかけ、それらを精査し磨き上げる中で、今、我々が取り組んでいるニーズに辿り着いたので、このニーズに自信を持っています。
——それだけ多くの医療ニーズを見つけるという時点で大変そうですね。
篠倉 実は医療現場には課題が沢山あって、ニーズを見つけること自体は、それほど難しくはありませんでした。ところが、それらを医療の観点、事業化の観点も含めてスコアリングし、事業として取り組むべきニーズに落とし込むのは過酷な作業でした。数も数ですし、必要となる情報を集めるにも、そもそも情報が存在しないこともあり…。チームメンバーやメンターの方々のおかげで今のニーズにたどり着けましたが、私はついていくのに必死で、内心、泣きながらこなしていました(笑)。我々を指導してくださったファカルティは「なあなあで楽しくやるだけでは、最終的には誰もハッピーになれない」「本当の優しさとは、厳しさが伴うもの」という考えで、厳しく(愛情にもとづく厳しさなのですが…)指導してくださいました。毎週のメンタリングでは、幾度となくダメ出しをうけ、それでも喰らいつく日々でした。
——そして誕生したのが「横隔神経刺激デバイス」だったわけですね。
篠倉 スコアでいえば、当初はこのニーズは次点扱いでした。聞き取り調査などを通じて確実に需要があることは明らかでしたが、そもそも全く治療法のない領域だったので、市場規模を算出できなかったのです。その状況が一変したのは、7か月が経過した頃、専門家によるメンタリングを受けたことでした。現役投資家であるメンターが、我々と同じニーズに取り組むメドテックスタートアップが米国で200億円もの資金を調達していることを調べて、教えてくれました。つまり「術後の人工呼吸器からの早期離脱を促す技術」のマーケットは巨大なポテンシャルを秘めていることがわかりました。ファカルティはとても喜んでくれ「これまでよく頑張った!」と初めて⁉褒めて下さり、それまでの苦しい日々が報われたようで、チームメンバーで歓喜しました。当初から、ファカルティが熱心に指導してくださったことを今でもとても感謝しています。
ーーそれからすぐに会社を起業されたのでしょうか?
篠倉 いえ、当時はすぐ自分たちも起業しよう!とはいきませんでした。起業すると運営などで諸費用が発生する上に、法人は応募できないグラント(競争的資金)もあるからです。バイオデザイン大阪のダイレクターからも「まだ起業は早い」と助言されていたので、まずは日本医療研究開発機構(AMED)などの公的資金を利用しながら、基本原理の検証などを進めてきました。その後、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援事業が「起業が条件」だったことから、起業を決断しました。

イノベーター発掘プログラムを経て自覚が生まれた
篠倉 「メドテックイノベーター発掘プログラム」に参加したきっかけは、大阪大学の八木雅和先生のご紹介でした。当時のわたしは、まだ起業したばかりで、税務や労務など慣れない仕事が山積みだったこと、さらにチームを牽引していた玉川さんが博士課程の基礎研究で多忙になったことで、頼りきりだった業務も自身で主導することになり、まさに悪戦苦闘が続いていました。八木先生から「大変な状況なのは承知しているけれども、せっかくだから出場してみませんか?」と声をかけられ、参加を決めました。
——ピッチコンテストでは、篠倉さんが見事に優勝を勝ち取りました。
篠倉 本当に嬉しかったですね。わたし自身、業務に忙殺され、精神的にも参っていて、将来に不安を感じていました。そんなときに、ピッチコンテストで経験豊富な専門家の方々から事業性が高く評価されたこと、そして、オーディエンスの方々からも評価いただいたことは感激で、まさしく感極まったという状況でした。振り返ってみると、あの瞬間は、VentEase起業当初のハイライトだったのかもしれません(笑)。
——コンテスト後に実施されたメンタリングはいかがでしたか?
篠倉 メンタリングは貴重な体験になりました。先輩起業家の方々はとても親切にしてくださり、様々な話をしてくれました。「苦しい…と感じるのは、実は自分がそう解釈しているに過ぎない」という、仏陀の“戯論”という概念を教わったのですが、目から鱗でした。また、チームビルディングの過程や海外ネットワークをどう構築したか、という体験談も貴重なものでした。VCの方々からいただいたアドバイスも今の活動につながる充実したものでした。
ーー本プログラムの参加の前後で何か変化はありましたか?
篠倉 最も変わった部分は「この事業における主体は自分自身なんだ」という自覚ですね。先輩起業家にも「篠倉さんにとって、この事業はまだ自分のものになり切れていないのでは?」と指摘されました。振り返ると、「バイオデザイン」を通じて事業テーマを発掘し、その後も逐一指導を受けながらブラッシュアップしてきたので、いざ独り立ちして起業して、事業方針なども自分で決定する段階になっても、まだ自分がオーナーだという自覚が欠けていたのかもしれません。そこは大きな気づきでした。
メドテックは「大変だがとてもエキサイティングな世界」
篠倉 目下のチャレンジは、ハードウェアとソフトウェア両面での“医療現場に耐えうる製品設計”です。そこを突破できれば、臨床試験や上市に向けたアクセルを大きく踏めると考えています。そのためには、さらなるエンジニアリングチーム構築が不可欠です。わたしも玉川さんもエンジニアではなく、要求仕様書などを作成した経験もありません。VCにも「エンジニアチームを構築できれば、今後の資金調達も順調に進展するだろう」といわれています。
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大阪大学 八木雅和先生と一緒に
ーー最後に、「起業を考えている人たち」にメッセージをお願いします。
篠倉 「メドテックの仕事はおもしろい」と伝えたいですね。もちろん大変なこともあるし、脱毛症になったりもしましたが(笑)。これまで全く無縁だったシリコンバレーに何度も行ったりなど、いろんな機会があり、様々な人に出会い、優秀な医師やエンジニアの人たちと一丸となって機器開発に取り組むことは、毎日、刺激に溢れています。。悶々としていた会社員時代には想像もつかなかった人生を送っているとあらためて実感しています。メドテックに挑戦する人の数が増えるほど、日本における成功事例の創出に繋がると信じています。大変だけどエキサイティングなこの世界に、ひとりでも多くの挑戦者が飛び込んでほしいと願っています。不安を挙げればいくらでも挙げられると思いますが、リスクをとって飛び込むことで、助けてくれる人、支援してくれる人との出会いにも恵まれます。サポートくださる人の輪が少しずつ広がるのを実感します。偶然の出来事が重なり、勢いでこの世界に飛び込んでから、ちょうど3年が経過しました。確かにスリリングではありますが、素晴らしい方たちに支えられながら、家族5人で充実した日々を送れているのは、本当に有難いことだとあらためて感じています。
篠倉さんは、医薬品会社や医療機器会社に長年勤めていましたが、3年前に退職して、メドテックの世界に飛び込みました。退職後は、大阪大学が主催する「ジャパン・バイオデザイン・フェローシップ・プログラム」に参加。同プログラムを通じて、現在の起業ニーズを発見しました。昨年8月には、共同研究者である玉川友樹さん(心臓血管外科医)と2人で起業しており、現在は次のステップである「機器開発+非臨床試験」を目指して、シリーズAの資金調達に挑戦中です。
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