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インタビュー・コラム

第5回 コンプライアンスを徹底し、信用を育んだ日本橋

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「くすりの街」日本橋には、昔から 現代に通じる先進的な ビジネスマインドが息づいていた

「くすりの街」日本橋には、100年以上も前から、コンプライアンス重視、情報共有・情報開示、組織力の発揮、社会への貢献、シェアの精神など、現代に通じる先進的なビジネスマインドが存在していました。そんなエピソードをシリーズでお届けします。

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「薬」は病から人を救う役割をはたす一方で、配合や用量をあやまれば毒にもなるという側面も持っています。それゆえ、「薬」にたずさわる者にとって、"信用"はきわめて重要なものであり、自ら襟を正す必要がありました。現代の言葉を使うなら、「コンプライアンス」の重要性を強く認識する必要があったと言えるでしょう。

今回は、明治以降、「くすりの街」日本橋本町が、薬業界全体で「薬」への信用を育んできた、その努力の一端をご紹介します。

品質改善のため、問屋主導で不良品を取り締まる

日本橋本町の薬種問屋を中心に、明治17年(1884年)に設立された「東京薬種問屋組合」は、品質のよい医薬品の供給をめざすようメーカー側に要望し、不良品の取り締まりを開始しました。当時の日本の製薬メーカーは研究面・生産面で海外メーカーに比べ遅れており、実際に粗悪品なども流通していたのです。そこで、問屋主導で品質改善が進められていきました。

製薬メーカーの組合が明治31年(1898年)に設立されると、問屋側は、メーカー組合に加盟していない製造業者の製品は一切取り扱わないと決めました。そして大正10年度(1921年度)には、取り扱い薬品のさらなる厳格化に着手します。行政が行う衛生試験に合格した薬品、あるいは設備の整った製薬メーカーの試験室における精密検査を経た薬品以外は取り扱わないことにしたのです。優良な医薬品だけを市場に供給することが目的でした。

公正さを追求し、情報も開示

さらには市場に流通する薬品の品質の比較試験を、問屋組合が独自に行うようになりました。不正が起きないよう、メーカー名・商品名を伏せてのブラインドテストだったというから、徹底しています。包装されたグラム数が正しいか測り、品質については「日本薬局方」(法で定められた医薬品の規格基準書)の規格に適合しているかを検品。検品結果はすべて組合員に情報を開示しました。不良品についてはメーカーに注意を促し、改善がない場合は公表し、問屋間でそれらの製品を扱わないよう勧告しました。

こうした努力の結果、市場に流通する薬品はだんだん品質や量の適正化が図られ、信頼性が保たれるようになりました。「薬品対比試験年間成績表」を見ると、たとえば、大正10年12月の試験成績で7種類中2種類だけが「適正」だったグリセリンは、昭和2年10月の検査では6種類中すべてが「適正」になっていることが読み取れます。

従業員のモチベーションを高めて、信用を育む

信用を育む上でもう一つポイントとなるのが、従業員のモチベーションアップの取り組みです。大正初期には、みんなの規範となるような従業員を組合が表彰し、相当の待遇をすることを、組合の定款として定めました。それまでの組合定款には処罰に関する規定があるのみでしたが、ほめて伸ばす人材育成手法をいち早く取り入れたのです。表彰者を選ぶ審査員の氏名は公表されず、論功行賞が公平に実施される配慮もなされていました。

大正15年(1926年)以降は、従業員のスキルアップ向上の一環として「薬業講習会」を組合が主催しました。「薬業に従事する者は薬品に関する知識、保安上・衛生上の厳密な管理手法、ならびに関連法案の知識を習得することが基本的な務めである」という理念に基づいた施策です。褒章制度や講習会が導入されたことで、従業員が一層、自社の信用、薬の信用を向上させるよう努めたであろうことは想像に難くありません。

取引においても、信用を重視

問屋は小売りに対して卸をするだけではなく、問屋同士で薬品を売買することもありました。その際には現金取引ではなく、組合が発行する「せり帳」と呼ばれる附込通帳を使って取引しました。

セリ帳_s.png

「せり帳」とその記載例

せり帳は組合員の資格を証明するものでもあり、取引上の信用性を確保するものでした。いわば、業界内で通用するパスポートといったところでしょうか。記録は古く、江戸時代から慣例として利用されていました。

売買では、買主側のせり帳に、売主側が品名・数量・価格を記して捺印。代金の決済は月次で行われます。取引の簡便化と適正化を図った、効率的な会計手法だったのです。後日どのような事故が生じたとしても、その責任はせり帳を所有する店が負担するのがルールでした。せり帳を盗難・紛失した際は速やかに組合に届け出をすることが義務づけられており、不正利用の防止も行いました。

ちなみに現代は、せり帳とは逆で、売主側が発行する伝票に買主側が捺印をする形式になっています。以前のルールのままだと、買主に支払い能力がない場合には、貸し倒れになってしまうからです。昔のせり帳の仕組みは、問屋仲間同士の強い信頼・信用があって成り立っていたといえるのです。

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薬事に携わる事業者としての誇りや高い倫理観が、"信用"という代え難い財産を育んだ、「くすりの街」日本橋。その"信用"は、優良な製品の流通に大きく寄与したのです。

続く>> 第6回 災害下で組織力を発揮した「くすりの街」

 

参考文献
東京薬事協会百年史編纂委員会 編纂『公益社団法人 東京薬事協会 百年史』(1987年 東京薬事協会)
東京薬事協会百十年史編纂委員会 編纂『公益社団法人 東京薬事協会 百十年史』(1994年 東京薬事協会)
東京薬事協会薬事協120年史編纂委員会 編纂『公益社団法人 東京薬事協会 120年史』(2004年 東京薬事協会)

公益社団法人 東京薬事協会
1884年(明治17年)に東京薬種問屋組合として創設された薬業団体。
「薬業の向上発展に関する調査・研究」「地域社会に対する薬事事業」を主事業に、業種・業態・規模を越えた会員によって、都民に対する正しい薬の知識を啓発している。

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