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インタビュー

【News Letter】独自の視点で課題解決に挑むイノベーターに聞く 研究者/臨床医としてビジネスに挑戦する意義

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この投稿記事は、LINK-J特別会員様向けに発行しているニュースレターvol.1のインタビュー記事を掲載しております。
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日本のライフサイエンス産業におけるキーパーソンとなる人物に、ライフサイエンス・イノベーションの課題や今後を聞く本インタビュー企画。第1回となる本号では、日本橋でのライフサイエンス拠点設立計画に「有志の会」として早期から参画し、さらにLINK-Jの正式発足後はサポーター(外部アドバイザー)として活躍を続けている、北野宏明氏(特定非営利活動法人システム・バイオロジー研究機構 会長)、内田毅彦氏(株式会社日本医療機器開発機構 代表取締役社長)、山本雄士氏(株式会社ミナケア 代表取締役)の3名にお話を伺いました。

研究者/臨床医としてビジネスに挑む意義

――研究者/臨床医という立場からビジネスの世界に挑戦される原動力をお教え下さい。

北野 いままで、物理学、計算機科学、ロボット工学、生命科学という複数の研究分野に関わってきましたが、医療や工学の分野では「どれほど優れた研究であろうと、それが世に問われなければ意味がない」と考えています。そして研究の真価を問われるためには、事業化される必要があります。それも可能であれば、自分の手で実現したい。優秀な人に委任をするのも良いのですが、他人任せでは研究の価値を最大限発揮するのは難しいと思っています。

山本 臨床医として多くの患者さんに接してきた体験が、私の原点です。それに加えて、米国のビジネス・スクール(経営大学院)で経営学を学んだ経験も大きいと思います。医療を学んだ上で経営について勉強したことで、臨床医時代は全く気がつかなかった、日本の保健医療をめぐる様々な課題が理解できるようになりました。ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)を選択したのも、自分なりに課題の解決に挑戦したいと思ったからです。

内田 私の原点も、臨床医として過ごした日々です。医療機器というのは、技術的にいくら優れていたところで、実際に医療現場で必要とされるものでなければ意味がありません。そのためには、臨床現場に対する知識は不可欠となります。現在の会社を起業する時も、「ただ営利を追求するのではなく、本当に患者の(そして社会の)ためになる医療技術を世に送り出す」ことを社是としました。この考え方は、今も変わっていません。

009_DSC8085_L.JPG 内田毅彦氏(株式会社日本医療機器開発機構 代表取締役社長)

オープンイノベーションに不可欠な要素とは

――近年、産学を超えたオープンイノベーションの試みが活発になっています。従来のクローズドな研究体と比べると、オープンイノベーションの利点はどこにあるのでしょうか。

北野 現在のライフサイエンス領域についていえば、1人の研究者の力で解決できることには限界があります。オープンイノベーションによって、様々な分野の専門家の協力を得ることができれば、成功に至る確率も高められます。ネットワーク化することで、より大きなスケールの議論も可能になるでしょう。もちろん、その実現は簡単なことではありませんが。

――これまでにも北野先生は「ロボカップ」など様々なグランドチャレンジ・プロジェクト(非常に大きな課題を設定した長期プロジェクト)を提唱されていました。多くのプレイヤーを引きつける、その秘訣は何でしょうか。

北野 他のプレイヤーを引きつけ、巻き込むためには、「大きなスケール感をもったアジェンダ(課題)」の存在が重要です。たとえば、20年以上前に「ロボカップ」(※サッカーを題材として人工知能による自律型ロボットの開発を目指したランドマークプロジェクト)を提唱した時も、当時は予算も技術もありませんでしたが、それでも多くの関係者の参画を得ることができました。いまでは、数千人の研究者が参加するロボットと人工知能の最大のプロジェクトに成長しています。アジェンダのサイズが小さいと、挑戦心をもった優秀な研究者を引きつけるのは難しいと思います。

kh_039.jpg北野宏明氏(特定非営利活動法人システム・バイオロジー研究機構 会長)

ライフサイエンス産業にみる米国と日本の差とは

――米国での経験が豊富な内田先生にお聞きします。ライフサイエンスの領域において研究面でも産業面でも世界をリードする米国ですが、その強みはどこにあるのでしょうか。

内田 シリコンバレーなどでの勤務経験から感じたことは、医療技術で世界をリードする米国といえども、個人の能力それ自体は、日本人と比べて突出しているわけではないということでした。逆にいえば、米国にはスタートアップを人材・資金の両面で支える優秀なシステムがあって、日本にはそれがない。それこそが、米国の持つ強みだと実感しました。

――帰国後は現在の会社を設立し、医療機器に関するインキュベーション事業を開始されました。その道を選択されたのも、シリコンバレーでの経験から得た結論なのですか。

内田 帰国する前から「医療機器の世界で勝負をする」と決めていました。当初はFDAでの経験を活かして、日本でも薬事関連の仕事をしようと思いました。しかし考えてみると、米国が医療機器の世界をリードしているのは、研究者とそれを支える優秀なシステムの力であり、監督官庁の力だけではどうにもならない部分があります。日本にも優れた研究者はいるのですから、それでは日本に足りない要素は何かと考えていくうちに、インキュベーターにたどり着きました。

「ビジネスと医療を結びつける」医療職の新たな役割

――山本先生は臨床医や実業家としての活動とは別に、教育活動にも力を入れているとお聞きします。「山本雄士ゼミ」について教えて頂けますか。

山本 山本雄士ゼミは、主にヘルスケアに関連する様々な課題を議論するための「場」として、2011年にスタートしました。頻度は毎月1回、日本橋で開催しています。ビジネス業界や医療業界など参加者の背景も多岐に渡ります。こうした場所を用意した理由のひとつとしては、医療に関心のある、異なる業界の関係者が集まることで「臨床医や研究者の道以外にも活躍できる仕事がある」ことを、特に医学部生や薬学部生などの若い人たちに知ってほしいという希望があります。

――山本先生が務めるソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)も「異なる業界の垣根を超えて問題の解決に取り組む新しい医療職」のあり方のひとつですね。

山本 振り返ってみると、私たち医療者は「自分たちが正しい知識を知っていれば良い」という雰囲気のなかにいて、その外の世界で起きている様々な変化に対して、あまりに無関心でした。

その無関心が、たとえば世間に氾濫する不正確な医療知識、サービスなどの一因になっているように思います。また、時代に合わせた保健医療の再定義も必要です。ビジネスと医療のギャップから生じたこうした課題に取り組むのも、医療者が担うことができる新しい役割だと思います。

yy_014.jpg山本雄士氏(株式会社ミナケア 代表取締役)

スタートアップ事業は「とてもやり甲斐のある仕事」

――これからライフサイエンスの世界はどのように変わっていくでしょうか。社会的影響や規制などの必要性はどうでしょうか。

北野 再生医療に代表されるように、ライフサイエンスの世界では急速な技術の発達にともなって様々な課題が生まれています。さらに生殖医療の分野で数々の技術的革新が起き始めています。我々が認識するべきことは、道義的な問題はともかく「技術的に可能であり、それを求める人がいることは、いずれ誰かが実行する」ということです。これからは、特定の技術をただ禁止にするのではなく、その技術を適正に用いるための指針の制定が求められてくると思います。

――想像を超える勢いで進歩していくライフサイエンス領域で、どのようなアプローチが求められるのでしょうか。

山本 特にライフサイエンスの世界では、オープンイノベーションが不可欠です。「社会的立場や背景が異なっていても、同じゴールを目指して歩むことができる人たちとパートナーを組めているか」という視点でチームを組むことが重要だと考えています。最終的なゴールが共有できないままにパートナーを組んでも、それはただの異業種交流会に過ぎません。業界動向に合わせたビジョン、ゴールをしっかりと持つことが重要ではないでしょうか。

――ライフサイエンス領域でスタートアップを目指す人たちにメッセージをお願いします。

内田 スタートアップは、やってみると思っていたよりもずっと大変です。しかし、自分たちで何か新しいものを作り出すのだという気持ちや、アップサイドの大きさを夢見たりしながらやっていると、大変さよりも楽しさや充実感を感じることの方が多いです。私の場合はあまり成功者がいない領域でやっていますので、いわば前人未踏の山岳を踏破するのと同じような本能的な喜びも感じます。これからスタートアップを志望する人には「とても楽しい仕事だ」と伝えたいですね。

uchida.png 内田 毅彦 氏
1994年に福島県立医科大学、2002年米ハーバード大学公衆衛生大学院・2010年同経営大学院卒業。東京女子医科大学循環器内科助手、日本医師会治験促進センター科学技術部長を経て、2005年に渡米。FDA(米国食品医薬局)、医療機器会社、コンサルタント企業などで経験を積み、帰国。2012年に現在の日本医療機器開発機構を設立する。現在は同社代表取締役社長。

kitano.png 北野 宏明 氏
1984年に国際基督教大学を卒業後、日本電気に入社。1988年に米カーネギー・メロン大学に留学し、世界初の同時通訳可能な音声翻訳システムを開発する。1991年に京都大学博士号(工学)取得。1993年にソニーコンピュータサイエンス研究所に入社、現在は同研究所代表取締役社長 所長。2001年に特定非営利活動法人システム・バイオロジー研究機構を設立する。

yamamoto.png 山本 雄士 氏
1999年に東京大学医学部を卒業後、同付属病院、都立病院などで循環器内科などに従事。2007年にハーバード・ビジネス・スクールを修了(MBA)。日本内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医。2011年に株式会社ミナケアを設立し、現在は同社代表取締役。教育活動にも力を入れており、2011年より山本雄士ゼミを主宰している。

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