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インタビュー・コラム

第4回 日本橋本町はなぜ「くすりの街」になったのか~サクラグローバルホールディングの事例にみる薬種店の歩み~

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松本会長_田村会長.png日本橋本町に江戸時代から薬種店(薬問屋)が集積し、くすりの街として発展した過程を第1回と第3回のコラムでご紹介しました。そんな古くから商いを行っていた薬種店には、『いわしや』という屋号を名乗るものが多かったといいます。
今回は、『いわしや』を始祖にもち、江戸時代から現在も日本橋本町に本社を置く薬業企業のひとつである医療関連グループ「サクラグループ」の歴史を通して、日本橋本町の薬種店の変遷をご紹介します。サクラグローバルホールディング株式会社 松本謙一代表取締役会長と、サクラエンジニアリング株式会社 田村幸一郎代表取締役会長のお二方を案内人に、薬種店の進化の歩みを振り返ってみましょう。
(写真左:サクラグローバルホールディング株式会社 松本謙一代表取締役会長 右:サクラエンジニアリング株式会社 田村幸一郎代表取締役会長)

薬種店なのに屋号が「いわしや(鰯屋)」なのは、なぜ?

「日本橋本町には、江戸時代から『いわしや』という屋号の薬種店がいくつもあったそうです」と、松本会長は語ります。

実際、江戸時代末期の『江戸諸問屋名前帳』には、日本橋本町に4軒、日本橋大伝馬町に2軒の「いわしや」が記されており、分家などで増えたと考えられています。でもなぜ、薬問屋に魚の名が冠されていたのでしょう?

屋号の由来については諸説あります。ひとつは、業祖が和泉国堺(大阪府堺市)で網元をしていた薬種商だったというもの。堺は鰯漁業が盛んな一方で、港には海外からの貿易品が入り、医薬品も取り扱っていました。そんな薬種商が新開地・江戸に下り、故郷に由来する名を名乗ったという説です。

業祖の一人と目される松本市兵衛は堺から江戸に入り、寛永年間(江戸初期)に日本橋本町三丁目を与えられ、「いわしや松本市兵衛」を開業しました。

田村会長は、「当時の地図を見ると、江戸城の常盤橋門から日光街道と奥州街道が延び、常盤橋門を起点に東方向に町割りされたのが、日本橋本町です」と解説します。商人に与えられた町の中でも薬種店は街道に面して軒を並べておりました。いわば一等地を松本市兵衛は与えられたのです。

「我々サクラグループは2つの分野、即ち感染制御機器の開発製造と病理・細胞診断関連のハード・ソフトの開発・製造を主なビジネスとしていますが、創業年からさらにルーツをさかのぼると、この『いわしや松本市左衛門』にたどり着くのです」(松本会長)。

明治時代の政策で、医療器械へ転向する薬種店も

明治時代に入ると、政府の医療政策はそれまでの漢方やオランダ医学からドイツ医学への転換が進められ、売薬規制も厳しくなりました。規制は、幕末には50を数えた薬種店に大打撃を与え、廃業に追い込まれる店も出ました。

そんな中で、「いわしや松本市左衛門」売薬規制に対応するため、明治4年、医療器械部門を独立させます。

「責任者は、筆頭番頭の松本儀兵衛。時代のニーズは医療器械にあると読み、従前より扱ってきた外科器械を強化したのです。サクラグローバルホールディングはこの明治4年を創業の年と位置付けています」と、松本会長は語ります。

いわしや.png

明治20年頃には日本橋本町に医療器械業者が9店舗もあり、そのうちなんと8店舗の屋号が「いわしや」でした。同じ屋号の同業者が多いため、「いわしや松本器械店」は桜のマークを用い始め、「さくらのいわしや」を商標登録しました。後の社名はこの「さくら」に由来しています。

このように、明治時代の日本橋本町は薬種店とそこから転向した医療器械店が軒を並べる町に発展しましたが、大正12年、関東大震災により焼け野原になってしまいます。

「新たな復興計画では、日本橋本町が日本橋を起点に北方向に区割りされることになり、地名が室町に変わる地区が出てきました。それに反対し、境界線を一部引き直させたといわれています」。"薬種店、医療器械店といえば日本橋本町"という町の人々の強いこだわりが行政を動かしたのでは、と田村会長はみています。

『いわしや』という屋号は医療器械の代名詞に

昭和に入ってからも「いわしや」を名乗る医療器械店は各地で増え、昭和36年には58社を数えるほどに。「当時は『いわしや』が医療機器店の代名詞のようになっており通りが良いと、新規参入業者もこぞって『いわしや』を名乗ったのです」(松本会長)。

一方、「いわしや松本器械店」は同年、社名を「サクラ精機」に変えました。「就職の際に学生の親御さんが魚屋と勘違いなさることがあり、変更したのです」と、松本会長はエピソードを明かします。

その後、「いわしや」を名乗る薬種店は、医療器械のほか、医療に関係する業種に、時代とともにビジネスを変化させていきました。業種業態や社名は変われど、サクラグローバルホールディングをはじめ薬種店をルーツに持つ企業は、創業の地・日本橋本町で事業を継続させていることに、誇りを持っているのです。

続く>> 第5回 コンプライアンスを徹底し、信用を育んだ日本橋

参考文献
サクラ精機百二十年史(平成三年十二月十二日発行)
※「いわしや」の「わ」は変体仮名で写真の説明にあります社名をご覧ください。

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