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インタビュー・コラム

臍帯由来ヒト細胞で細胞医療の基盤構築・産業化を目指す ヒューマンライフコード株式会社

細胞医療の分野で、原材料の調達から開発・製造・物流・販売に至るまで、一気通貫で実行できる基盤を確立し、ビジネスを構築・展開させることは容易ではありません。今回は、臍帯をはじめとするヒト組織由来の細胞を国内で入手し、有効活用することで、再生医療等製品の国産安定供給のプラットフォームを展開する、ヒューマンライフコード株式会社の原田雅充 代表取締役社長にお話しをお伺いしました。

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原田 雅充 氏 (ヒューマンライフコード株式会社 代表取締役社長)

廃棄された組織から生まれる細胞医療という治療選択肢との出会いからニューヨークへ

――創業されることになったきっかけについてお聞かせください。

原田 私が米国外資系製薬会社で臨床開発の統括部長という立場にいた頃、米国本社が開発していた細胞治療のプロジェクトに関わっていたことがありました。それはまだ開発の初期段階でしたが、廃棄されていた胎盤を利用し、胎盤由来の細胞を小児の先天性疾患の患者さんの治療に役立てるというものでした。

その患者さんは抗がん剤も使えないほど体力が弱っていた方でしたが、胎盤由来の細胞医療を使うことで身体活動レベルが改善し、抗がん剤による前処置が伴う造血幹細胞移植ができるまでに回復していきました。

体が弱ってきている人、加齢に伴い体力が落ちてきている方、あるいは小児の方など、容易に標準治療が使えない、継続できないような患者さんに対して、1つの治療の選択肢として細胞医療というものが使えるのだということを肌として実感し、「これは、新たな治療戦略につながる」と衝撃を受けました。それと同時に自ら「市場に導入したい」と衝動にかられた感覚を覚えています。

従来、治療の選択肢がなく、お亡くなりになる方がいる中で、新たな選択肢によって治療につなげられること、目の前で患者さんの治療を体感したことが基点となって、「将来この治療法は大きな将来性がある」と実感したのが2013年のころです。

当時は再生医療に関する法的整備が進み、この新たな治療法について当時勤めていた会社内でも評価し、社内ベンチャーという形で事業部を立ち上げようとしましたが、当時の私は、統括部長としてグローバルスタディー含め複数の開発プロジェクトを統括する立場におり、受け入れられませんでした。しかしながら、その気持ちは消えることがなく、気付いたら会社を退職し、自費でニューヨークへ飛んでいました。

――ニューヨークへ行かれたのは、ベンチャーを起業するためだったのでしょうか。

原田 そうです。しっかりと事業計画を立て、どれだけバリエーションを持たせることができるのかといったときに、ファイナンスやアカウンティングを知らないといけないと考えました。私はそれまで研究開発、メディカルアフェアーズ、マーケティング・営業など川上から川下までの事業推進系のキャリアを積んできましたので、起業するには管理系の素養が不足していました。すぐさま、MBAのコースに入り、それを身に付けつつ事業計画を作ろうと思い立ち、世界のビジネスの本場、ニューヨークへ渡りました。退社して翌日にはもうニューヨークへのフライトに乗っていましたね。多様なグローバルの視点が得られやすく、「なぜ?」を繰り返し自ら問うには最適な環境であったと思います。

――日本にビジネスの主軸を置かれたのはどのような理由からでしょうか。

原田 私のこれまでのキャリアは日本および欧米でしたが、自分自身のプレゼンスが発揮でき、役割を果たせるのは日本だろうと考えていました。ニューヨークへの留学後は米国で起業する機会も恵まれましたが、開発も日本を主体としてやってきましたので、速やかに能力が発揮できる場は、日本だろうということで帰国しました。

もう1つの理由として、私の第二の母校ともいえる東京大学医科学研究所にて20年前から臍帯血由来細胞を題材にした研究に携わっていたことにあります。東京大学医科学研究所とのコラボレーションにより、製造に関する技術的ノウハウ、人的資産というものを継承していきたいという、臍帯を主体とするヒト由来細胞の安定供給に向けたインフラ構築の構想と導入可能なタイミングが合っていたため、創業の場は日本としました。

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1本の臍帯から1,000人分の細胞製剤を生産

――細胞を商業化ベースで生産する場合、安定的な原料調達の難しさがあると聞いています。そういう意味で臍帯あるいは臍帯血は使いやすい状況にあるのでしょうか。

原田 創業して2年間は大きな壁がありました。日本では、お産の時に出る臍帯などの廃棄は、東京都を含む一部の自治体毎に制定された胞衣(えな)条例に従う必要があり、臍帯などの組織は、お産した施設によって自治体が指定する専門業者へ委託し廃棄しなければなりません。よって、研究目的を除いて産業上使うことはできず、医薬品にして販売することはできませんでした。

しかし、今年(2019年)になり、東京都福祉保健局から全国に先駆けてこの条例の緩和が発令され、臍帯などが細胞医薬品の原料として利用できるようになりました。臍帯由来細胞の医薬品化を目指す弊社にとっても、一つ大きな風穴があいた瞬間でした。廃棄されるものを利用するのでドナーさんには侵襲を与えませんし、国産の原料になりますので、安定供給という意味で産業上のメリットがあると思っています。これまでの大きな課題が一つクリアになったわけです。

今後、我々は、これまでの実績として、下記のような座組みを構築してまいりました(下図)。

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原田 細胞は生ものであるため、輸送プロセスでの品質劣化ということを考えると、基本的にその国で作り、その国の患者さんへ安定供給していくというのが、品質管理、コストの面から考えてもベストなビジネスモデルだと考えています。臍帯を集める病院、保管するバンク、大量培養をする細胞加工施設、そして製品化したものを患者さんの元に届ける物流。この4つのキープレーヤーが揃うと、オール国産の細胞製品を健全かつ安定的に供給できるようになり、安心してお使いいただける真の細胞治療の産業化が実現すると思います。今、ようやくこの座組が整いました。

1本15センチの臍帯から1,000人分の細胞製品を作ることができます。へその緒というのは生まれたばかりの組織なので、骨髄や脂肪細胞に比べても桁違いに増殖能力が高く、必要な細胞量をまかなう製造期間が短縮できるというメリットがあります。

細胞製品の原料を骨髄とする場合は、その採取はドナーさんの痛みを伴いますし、国内で安定的に入手するのは難しいのが現状です。現在は、アメリカからの輸入に依存していますので、例えば、貿易事情が変わった場合に、製薬産業の使命である安定供給が難しくなります。細胞治療の真の産業化といったことを考えた場合には、やはり国産で集められるソースが望まれるということで、そういった流れがルールも含めてようやく浸透してきたと感じています。

――臍帯から採取する細胞について教えてください。

原田 臍帯から取るのは間葉系細胞(MSC:Mesenchymal stromal cell)です。増殖能力が高いため、短期間の培養で細胞数を増やすことができ、炎症を抑制する効果や、細胞から出る液性因子でもって組織を修復する効果が証明されています。実際に今、患者さんに対して臨床試験が進行中です。

臍帯由来のMSCというのは、炎症環境に曝されていても異物を認識する表面抗原マーカーのHLA-DRが抑えられているため、炎症性の疾患に関してMSCは適していると感じています。ですから、まずはヒューマンライフコードの開発戦略の第一段階は、GVHD(graft-versus-host disease:移植片対宿主病)のような急性の炎症性疾患に対し、細胞を医薬品化していくことにあります。第一号品と位置付けている開発対象の急性炎症疾患は治療薬がないため、重篤性の高い疾患を対象に、条件及び期限付き承認制度も活用する方向で、1日でも早く臍帯由来の細胞医薬薬を患者さんへ届けたいと考えています。

そして、ヒューマンライフコードのインフラ構築事業と位置付ける細胞安定供給事業は、東京大学医科学研究所と共同開発する半学半民のプロジェクトです。臍帯、臍帯血を保管し、そこから採れる細胞として、MSCだけなく、NK細胞や制御性T細胞など、様々な細胞が採れますので、再生医療等製品向けの研究用から臨床用へとオープンに一気通貫して提供し、これら周産期産物由来の基礎研究のすそ野を一気に拡大していこうと考えています。

――細胞を安定供給する上での課題はありますでしょうか。

原田 法的な壁以外に、技術的な壁が2つありました。法的な壁は先ほど申したような形でクリアできましたが、「安定的に抽出する技術」、それから先ほど申した1本の臍帯から1,000人分の製品を作る「均一的に拡大培養する技術」です。必要なときに必要なだけ細胞を採るためには、そのソースが凍結保存できるということが産業利用上の利点となります。

臍帯をフレッシュな状態を保ったまま「凍結保存する技術」及び臍帯から目的とする細胞を抽出するノウハウを東京大学よりライセンス導入いたしました。従来は凍らせていましたが、そこから細胞を採ると半分ぐらいは死んだ細胞が混ざり、効率があまりよくありませんでした。凍結技術を確立することにより、1回当たり90%以上の回収率が実現できるようになりました。

――細胞にしてから保管するのではなく、臍帯のままで凍結した方が使い勝手が良いのでしょうか。

原田 臍帯そのものを凍結保存することで、必要な時にいつでも細胞を抽出できるという利便性が向上します。臍帯が送られてくるのは帝王切開が多く、ある程度この日という、だいたいの時間が決められています。一方、臍帯が送られて来た時に細胞を採る必要は必ずしもないので、ある一定期間取っておくことができるということは、製造の立場からするとすごくマネジメントしやすいわけです。

――治験時の製造から商業生産へうまくトランスファーするには細胞製品の品質が重要と聞いていますが、いかがお考えでしょうか。

原田 おっしゃる通りですね。技術的な壁だと均一性というところも大事です。大量培養する上ではただ数が増えればいいというわけではなく、同じものを増やす必要があります。その技術を確立した上で、厚労省から許認可を受けて第一段階の治験が動いています。今年からはご支援いただくパートナーの企業と共に、第二段階の治験実施に向け、製造及び物流の視点からの品質管理体制を構築してまいります。

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事業基盤が整い、着実に実行に移す時期に

――2019年12月に開催された東京都が後援する「東京ベンチャー企業選手権大会2019」でも最優秀賞(東京都知事賞)を受賞されたとお聞きしました。

原田 明確な社会的課題とそれを解決しうるビジネスモデル、そして原材料を東京で集めて東京で製造するという東京都との親和性、経営者である私自身のキャリアとグローバル展開する事業計画の実現性が評価され、最優秀賞と東京都知事賞をいただきました。ベンチャー企業選手権では、AIによる画像認識やセキュリティー、待機児童の問題や、障害者の雇用課題解決に向けた素晴らしい企業さんがエントリーされていました。資金調達の目途が立ち、臍帯由来細胞の健全な安定供給に向けた座組みや、これまで立ちはだかる壁をクリアしてきた実績があるというところを評価いただけたと感じております。

今年の経営課題の一つに、優秀な人材の獲得が挙げられます。特にスタートアップのバイオベンチャーは、競合も多く、挑戦心溢れる優秀な人材に出会えるのが難しいので、常にアンテナを張り努力させていただいているところです。我々の仲間としてヒューマンライフコードの事業に賛同いただける方がいらっしゃれば、是非お会いしたいですね。

――LINK-Jに入会されたことによる変化、メリットはありましたか。期待を含めてご意見いただければありがたいです。

原田 ベンチャー同士の提携の機会が得られるというのは、非常に良いと感じています。ベンチャー同士が集まり、横の連携によってプラットフォームを構築する。ただ縦割りで治療や診断だけに特化するのではなく、それぞれの専門性を持ち寄り、診断から治療、そしてマーケティング戦略が一本につながって初めて新しい市場がつくれるわけです。診断を支援するような会社や、バイオマーカーを探している検査会社など、細胞・再生医療の会社などライフサイエンス系のベンチャー企業だけが集まっているわけですので、このLINK-Jの中でそういうベンチャー同士の横の連携も取りやすいと感じています。

若い学生さんも起業を目指すような人が次々と出てきてほしいですね。ベンチャー企業が身近にないと選択肢すら思い浮かばないですよね、まず身近に感じていただき、知っていただくところから始めていく。都内はもとより、情報のアクセスが少ない地方の高校生や大学生を対象としたイベントなどがもっとあっても良いのではないでしょうか。一昨年は起業して2年目でしたが、再生医療産官学連携シンポジウムに登壇させていただきましたこと、感謝しております。シンポジウムの懇親会で私の発表をお聞きになった担当者とのご縁がきっかけで、この方の会社と業務及び資本提携が実現いたしました。

LINK-Jのネットワークを活用させていただきながら、我々ヒューマンライフコードのこれまでと今後の取り組みを知っていただき、1人でも多くの人が心から実現したいと願う事業に挑戦でき、そういった人たちが社会から評価されるような風土(カルチャー)もつくっていけるといいかなと思っています。

―――ありがとうございます。最後に2020年に向けた抱負をいただければと思います。

原田 これまでヒューマンライフコードと関係者が積み重ねてきた事業基盤が整いました。2020年はそれを着実に実行し、結果を出す年と捉えています。具体的には、1.臍帯・パートナーとなる会社と共に品質管理体制を構築、2.共同開発先の東京大学医科学研究所と共に臍帯由来ヒト細胞の安定供給に向けた新たなバイオバンク構想の実現、3.次なる企業主導の治験を開始することに尽きます。

そして、足元の財務基盤を固める事業(早期キャッシュフローを生み出す事業)として、ICELLATOR(全自動細胞分離・抽出機器)という高度管理医療機器を薬事申請中でありますので、今年は薬事承認を取るというところが1つ大きなマイルストーンになると考えています。承認が取れると、臨床利用へのプロモーションを一挙に拡大できますので、国内の販売業務提携先の稲畑産業とはマーケティング戦略をしっかり固めているところです。「志は高く、行動は足元から」をモットーに、足元の財務基盤を固めつつ、将来の大きな成長につながる年にします。

haradamasamitsu.png原田 雅充 氏(ヒューマンライフコード株式会社 代表取締役社長)

旧通産省工業技術院生命工学工業技術研究所を経て、岐阜大学大学院生物資源利用学(遺伝子工学)を修了し、日本化薬(株)創薬研究本部に入社。アムジェン(株)にて臨床開発業務に従事する傍ら、東京大学医科学研究所分子療法研究分野にて急性白血病に対する新規薬物送達システムの開発研究を担当、米国血液学会などでの口頭発表、米国血液学会誌Bloodの筆頭著者として論文掲載。セルジーン(株)にて血液がん治療薬の自社販売体制を構築し、市場導入の成功に貢献、メディカルアフェアーズ及び臨床開発の統括を歴任。その後、起業を決意し自費でニューヨークへ、事業計画を策定する傍らMBA取得。帰国後、シンバイオ製薬(株)執行役員・営業・マーケティング本部長を経て、2017年4月にヒューマンライフコード(株)を設立、グローバルでの業務経験に加え、バイオテックに必要な3要素(研究開発・マーケティング・経営)の経験を活かし、代表取締役社長に就任、現在に至る。名古屋大学医学部老年科学教室の非常勤講師を兼任。東京都後援「東京ベンチャー企業選手権大会 2019」において最優秀賞及び東京都知事賞を受賞。

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