インディー・メディカル 顧問(創業者) 嶋内明彦氏(左)
インディー・ジャパン 代表取締役テクニカルディレクター 津田真吾氏(右)
オーストラリアのベンチャー企業が開発した、熱傷等治療機器「ReCell」。その日本での独占開発・販売権を有するインディー・メディカルは、日本での会社設立からわずか3年2カ月でエグジットを果たしました。そこで今回のベンチャーインタビューは同社の創業メンバーで元代表取締役の嶋内明彦氏と元取締役津田真吾氏にご登場いただき、「ReCell」との出会いからエグジットまでの経緯、成功のポイントをうかがいました。
開発権交渉や投資の打診は、バーチャルカンパニーのまま進めた
――「ReCell」は、患者から採取した皮膚から細胞懸濁液を作成し、それを患部にスプレーすることで熱傷や創傷部の再生を促進させる治療機器。オーストラリアのバイオ系ベンチャー企業であるアヴィタメディカル(以下、アヴィタ社)が開発した技術だと聞いています。この技術をどのように見つけ、日本での独占開発・販売権を取得するに至ったのでしょう?お二人の出会いも含め、一連の経緯をお聞かせいただけますか。
嶋内 ReCellは、私があるバイオ企業の東南アジア市場の責任者だった2011年当時、市場調査をしていて偶然見つけました。非常におもしろい製品だったのでアヴィタ社にコンタクトをとってみると、先方も日本での販売に興味があるという。そこで私は、自社のトップに対してReCellの販売代理権取得を提案しました。自社製品と競合関係にあるものの、うまくハンドリングすれば相乗効果も期待できるのではと考えたのです。しかし、残念ながら会社の答えは、ノー。それ以降、しばらくの間ReCellは頭の片隅で眠っていました。
津田 私の会社インディー・ジャパンは、シードアクセラレーターと、企業向けの新規事業立ち上げ支援を行っています。嶋内さんとは再生医療の意見交換会を通じて知り合ったのですが、ベンチャー経営と薬事の両方に精通するご経験を買って、当社の顧問に就いていただきました。そして日本市場に投入できるイノベーティブな新技術はないものかと相談するうちに、ReCellの存在を教えていただいたというわけです。ReCellの製品性能は非常に優れており、その可能性に惹かれ、販売権の獲得、新会社設立を一緒にめざすことになりました。アヴィタ社との交渉をスタートさせたのは、2013年のことでした。
嶋内 それまでにも、ヘッドハントで創薬系スタートアップの社長を務め、IPO直前まで事業進捗させましたが、最終意思決定の段階で創業者と筆頭株主の判断に従わざるを得ず、悔いの残る結果となりました。その後、2社のバイオベンチャーのお手伝いをしましたが、創業者社長として、筆頭株主として、完全燃焼したいとの思いが強くなりました。この時期にインディー・ジャパンの面々と出会い、再生医療への注目が高まったこともあり、新規挑戦で合意。5人の創業メンバーにその後2人が加わって、プロジェクトがスタートしました。
津田 初期の段階では、アヴィタ社との契約の可否や日本での事業性の見通しなど、不確実性の高い要素が多かったため、いきなり会社を設立することはせず、バーチャルに動きました。
――「バーチャルに」とはどういうことでしょうか?
津田 会社設立のために資金調達すれば、それだけバーンレート(資本燃焼率、企業経営のため1ヶ月あたり必要となる資金)が上がってしまいますから。バーチャルなまま、アヴィタ社との交渉やVCへの投資打診など進められることは進めていきました。
嶋内 アヴィタ社は当時、中国市場を重視、日本市場開拓には資金的制約もあり消極的でした。そこで、先方のCEOが中国出張時に押しかけ面談し、「独占開発・販売権を我々に譲渡してくれれば、日本市場で展開するための資金は我々がVCから集める。あなた方は1円も払わずにノーリスクで日本市場に出られるのです。こんな良い話はないでしょう?我々も余裕はないのでアップフロントフィーは払えませんが、そこは了解してほしい」と交渉。我々の熱意と迅速な行動力が評価されて、ディールが成立しました。交渉していたときは、こちらの社名も決まっていませんでしたから、合意した契約書の最終ドラフトの社名は「TBD・後日決定」でした。アヴィタ社のCEOには「バーチャルカンパニーとの契約交渉・合意は初めての経験だ」といわれましたね(笑)。
津田 社名はメンバーのみんなでブレストして決めていたのですが、同じ名前をタッチの差で他のスタートアップに登録されまして...。再度考えるのも大変なので、インディー・ジャパンの名前を一部流用し、インディー・メディカルにしました(笑)。インディー・メディカルの設立登記が2016年1月4日、その翌日にアヴィタ社と正式な契約を締結。最初の株主総会を同月にLINK-Jのライフサイエンスビルで行いました。
学会が注目する皮膚の再生技術、ReCell
――少し詳しくReCellについてうかがいたいのですが、ReCellのどのような特徴にお二人は可能性を感じたのでしょう。
嶋内 ReCellは従来にない、新しい皮膚の再生技術です。通常、皮膚の培養には数週間かかります。しかしReCellは患者自身の再生機能を活用するので、皮膚細胞を採取し分離して細胞懸濁液を作成するだけで培養が不要です。わずか30分から1時間程度で細胞懸濁液を作成し、患部にスプレーすることで熱傷や創傷部の治療を行うことができます。しかも採皮部の80倍の面積にまで拡大適用できるので、患者さんへの負担も少なく、患者自身の細胞を使うので、拒絶反応も起こりません。こうした特徴により、重症熱傷の救命率は大幅に改善し、やけどの跡もきれいに治ります。作用機序は極めてシンプルかつ明快、多くの先生方から「コロンブスの卵」だねとお褒めの言葉を頂きました。
さらに、熱傷以外にも使用できる。実は当初、熱傷だけが適応症だと考えていたのですが、欧米の論文には急性および慢性の創傷や白斑、瘢痕、潰瘍、母斑、白斑など、あらゆる皮膚の修復に用いられたエビデンスが豊富にあり、思った以上に市場性があるとの感触を強くしました。アヴィタ社CEOとの基本合意日が、「バイオジャパン2015」出展申込締切日でしたので、中国から即座に申込を行いました。少なくない来場者から、ご自身やご家族の白斑や古い瘢痕の悩みを伺い、早期の上市を望む声を多く聞き、ReCellの導入はアンメット・ニーズの解消に貢献できると確信しました。
津田 皮膚疾患治療の作用機序では"傷口周辺部から徐々にふさがる=治る"でしたが、ReCellは細胞懸濁液を創傷部全体に均一に塗布するので、皮膚の再生が極めて速く、瘢痕形成が最小限に抑えられるため、"整容性に優れている"。ここに本質的な価値があり、惚れ込みました。インディー・メディカルでは「イノベーティブケア、クオリティ オブ アウトカム」という社是を掲げていますが、このクオリティ オブ アウトカムは、早期の社会復帰や、自尊心の回復にも寄与する、多くの人が待ち望んでいた価値なのです。
――すると、薬事申請の際の適応症はどのようにしたのでしょう?
津田 「熱傷、白斑その他を含む皮膚の修復すべて」で申請中です。日本の薬機法にいろいろ制約があることは承知していますが、患者さんや一般市民からのニーズは高く、医師の支持もあるのだから「皮膚の修復すべて」にチャレンジすべきと判断しました。
嶋内 現在、審査を受けている段階なので詳細はお話しできませんが、PMDAには事前相談などで色々なアドバイスを頂き感謝しています。一連の相談を通じ、医療の向上に貢献する新技術・新製品を一日も早くとのPMDAの意気込みを強く感じました。
治療面に加え、もう一つReCellが優れているのは経済面で、入院期間の大幅短縮により医療費が削減できます。米国政府の資金援助で詳細なHealth Economic Analysisが実施され、大きな熱傷センターでは年間数十億円もの医療費削減が実現されたと米国熱傷学会で報告されています。材料費も従来品の再生医療製品の数十分の一なので、大幅にコストが削減でき、病床の回転数の向上、患者さんの早期社会復帰による生産性を加えれば、もっと大きな経済効果になります。
綿密に準備されたエグジットプラン
――そのようにReCellを注目される存在に育てたインディー・メディカルが、今年の2月28日、エグジットを果たしたわけですね。このたびのエグジットでは、なぜIPOではなく会社ごと株式を譲渡するM&Aを選択されたのでしょう?また売却先を探す上での苦労などはありましたか?
嶋内 インディー・メディカルは当初より、エグジットプランをM&Aに定めていました。日本では未だIPOが中心ですが、米国ではM&Aが主流になっています。前々から、日本でのバイオベンチャー振興には、M&Aの成功例が必須との思いを強くしていました。M&AはIPOに比べ、リターン総額は少ないものの、少人数で事業推進が出来、短期間でエグジットが可能です。我々は、会社設立から2年6ヵ月を目標としました。IPOだと5~10年もの期間が必要です。私自身の年齢が創業時に既に69歳であり、早く楽隠居したい気持ちもあったことも事実です(笑い)。
売却先の候補は、既存の製薬メーカーや医療機器メーカー、パイプラインの拡充が必要な既存ベンチャー、大手医薬品流通企業、ヘルスケア分野に新規参入を図る別分野の企業など、さまざまな選択肢を検討し交渉を行いました。幸い、再生医療への関心が高く、株式市場も敏感に反応するので、極めて強い関心を多数の企業から頂きました。
津田 ヘルスケア分野の製品は、市場のメカニズムが複雑です。我々がアヴィタ社から買った製品・技術を単に右から左に売却したわけではなく、ReCellを必要とする病院・医師・患者の市場を的確につかんでいること、そしてReCellのバリューを最大限に高めたことなどが評価されてのM&Aでした。
嶋内 事業価値を高めるため、薬事申請の準備と、関連学会への学術活動を積極的に進めました。薬事は、創業メンバーの内2名のエキスパートが中心塔となりCRO等を有効活用し、薬事申請書類はすべて我々の方で準備を進め、事業売却時点で即座に引継ぎができるようにしました。今回のM&Aでは、事業売却の契約締結と薬事申請を同じ日に行ったのです。
そのような薬事申請の準備と、学術活動を両輪として事業を推進しました。全米熱傷学会で「過去数十年でもっとも画期的な熱傷治療法」と評価されたのが追い風となって、日本熱傷学会での注目度も高まり、海外から医師を招聘した講演会は満席になりました。そこでは、米国臨床試験とコンパッショネートユースでの重症患者の高い救命率実績が報告されました。また、台湾水景園の大惨事での救急活動でもReCellが60名以上の被害者に使用された実績等も報告されました。今では日本熱傷学会員の多くの先生方にReCellやインディー・メディカルの名前が浸透していると思われます。
また日本創傷外科学会、日本形成外科学会、日本下肢救済・足病学会、日本褥瘡学会などでも「皮膚の修復」という切り口で紹介を行い、強い関心と早期の承認取得への期待を頂きました。
最終的に株式を譲渡したのは、医療関連情報の配信や製薬業界を中心にマーケティング支援サービスを行う「エムスリー」の子会社で、医療機器の販売などを手掛ける「コスモテック」です。エムスリーは先端医療分野への取り組みを「インターネットサービス」「exリアルオペレーション」に続く第三の成長レバーと位置づけ、積極的な投資を行っています。ReCellはホットトピックスの製品として、彼らの戦略にフィットしたのでしょう。
嶋内 会社設立から3年2カ月後にエグジットしたのですが、目標だった2年6カ月後に、実は別の企業とのディールが成立寸前まで行きながら、破談になった経緯がありました。つまりエムスリーさんとの契約は、最初のコンタクトからわずか8カ月後に締結したということです。伝統的な大企業とは違うスピード感ある経営に、私も驚きました。
多数の企業にアプローチして残念だと感じたのは、いわゆる中間管理職クラスは意欲的に捉えてくれるのに、そこから上のクラスにいくと話が頓挫してしまうこと。新規事業ですから市場性が不確実なのは当然なのに、「まだ実績がないから」等との理由で担当役員がゴーサインを渋ることが多いのです。日本にイノベーションが育たない理由を垣間見た気がしました。
――組織は成長し規模が大きくなると、意思決定のレイヤーも増え、問題も出てくるということですね。
津田 企業寿命30年説は一理ありますが、既存の組織でも新陳代謝ができればいいのです。「0」から「1」を生むのは誰かといえば、嶋内さんのような起業家精神のある個人。組織の中にもそういう人はいますから、うまく力を発揮してもらうために分社化し、その社長という位置づけで権限を与えて自由に経営してもらえばよいのです。
多くの起業家に見習ってほしい"成功の秘訣"とは
――改めて振り返って、今回のベンチャー企業立ち上げからエグジットまでが成功裏に終わったポイントは、どこにあったと思われますか?
津田 まず挙げたいのは、会社設立前に嶋内さんがつくった創業メンバー間の"紳士協定"ですね。多種多様なバックグラウンドを持つ人が集まるベンチャー企業で、メンバーのベクトルを合わせるのに、非常に役立ちました。起業家のみなさんにはぜひ見習ってほしいものです。紳士協定には、めざすエグジットプランや企業風土、設立後の株の配分、会社設立前の経費の分担などが、ペーパー1枚半に平易な文章で簡潔に書かれており、メンバー全員が個人で署名しています。
嶋内 きわめて常識的な約束事を並べたものなのですが、これがあったので、最後までお金に関して揉めたことはありませんでした(笑)。
津田 たとえばアヴィタ社との開発権交渉という大きなチャレンジをするときに、渡航費用は誰が持つのかなど細かいことに煩わされたくはありませんよね。渡航費は各自負担すると最初から協定に書いてあるので、気持ちの上ですっきりとしている。こういうことの積み重ねが大きかったと思います。
嶋内 アヴィタ社やエムスリーと、インディー・メディカルとの相性の良さもあったかもしれません。お互い、ベンチャー同士。今日電話で話をして、明日には先方のいる北京や香港に飛ぶフットワークの軽さや、熱意を汲み取ってくれる柔軟さなどを含め、意思決定のスピードが似ていたように感じます。
私個人としては、前職が競合製品のメーカーだったため、ReCellに関わるにあたっては、その旨を古巣に伝え了解を得ました。仁義を切るではないですが、業界は狭いのでそういうことも大切だと考えています。
津田 もう一点、これもまた嶋内さんの仕事の進め方に関することですが、準備が非常に用意周到なところも勝因に挙げられます。スタートアップは想定外のことが起きると念頭に置き、想定できることはすべて準備しておく。すると想定外のことが起きたときは、それだけに対応すればよいわけです。イノベーターは新しい挑戦ばかりに意識がいき、書類仕事や想定される問題への準備を怠りがちですが、そのような当たり前のことをしておくというマインドセットが重要だと勉強になりました。
嶋内 IPOにせよM&Aにせよ、デューデリジェンスが行われます。会社を設立する前からそのときのことを見越して、準備することが肝要です。資料の作り方、整理の仕方、品質にもその会社の信用度が表れますから、証券会社や売却先企業に安心感を与えるような資料作成を常に心がけるべきでしょう。
――このライフサイエンスビルから3例目のエグジットが生まれたことは、我々LINK-Jとしてもうれしく、心よりお祝い申し上げます。最後にLINK-Jへの期待やご要望を一言ずつお願いします。
嶋内 ライフサイエンス分野で人と人とのリアルな交流の場をつくっていただき、本当に感謝しています。現在私が監査役を務める「コーディアセラピューテッィクス」との出会いも、同社の代表がLINK-Jで私の講演を聞いたのが直接のきっかけでしたし、それ以外でもここでの名刺交換がネットワークづくりに大いに役立っています。今後は、これまでの私の経験を若手にシェアし、真剣に起業に取り組んでいる人の応援もしていきたいと考えています。
津田 3年前のLINK-J設立の折から関わらせていただいていますが、インディー・メディカル設立時も、起業家志望者を支援する取り組み「ZENTECH DOJO Nihonbashi」の立ち上げでもお世話になり、LINK-Jとともに成長しているという実感があります。ライフサイエンスの分野が今後も成長を続けるためには、エコシステムの循環が欠かせません。その意味でも、こうした場があり、起業家のさまざまな経験が次の起業家に受け継がれることを願っています。私自身もここで常に刺激を受け、また刺激を与えられる存在でありたいですね。
早稲田大学教育学部を卒業後、国内外のライフサイエンス企業で、新規事業部の立ち上げ、業績不振部門の再建などを担当する。バイオベンチャーとの関わりは2005年から。以来、バイオ系企業で代表取締役やアドバイザーなどを務める。再生医療製品の実用化を目指す「INDEE Medical」を2016年に設立。最近、武田薬品からスピンアウトした、がん領域のバイオベンチャー「コーディアセラピューティクス」監査役も務める。
日本アイ・ビー・エム、日立グローバルストレージテクノロジーズ、iTiDコンサルティングを経て、イノベーションに特化したINDEE Japanを設立。HDDの開発エンジニア時代に「イノベーションのジレンマ」に触れ、イノベーションの道を歩み続けることを決意する。その著者であるクレイトン・クリステンセン設立の米国Innosightと提携し、日本代表パートナーとしてグローバルなネットワークを築きつつ、大手企業の社内ベンチャーやベンチャー企業の支援を手掛ける。