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インタビュー・コラム

【News Letter】スタートアップを評価するポイントは「どんなチームで挑戦するのか」 起業家に必要な能力は「情熱と執着と忍耐」

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この投稿記事は、LINK-J特別会員様向けに発行しているニュースレターvol.6のインタビュー記事を掲載しております。
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スタートアップの資金調達ラウンドには、シード/シリーズA/シリーズB/シリーズCと呼ばれる4段階のステージがあります。そのうち、もっとも早期段階のスタートアップの資金調達を担当するのが、今回紹介する鎌田富久氏や澤山陽平氏に代表されるエンジェル投資家やシードベンチャー・キャピタルです。取材では、まだ具体的な製品もなく売上高もゼロの時点のスタートアップの実力と将来性を見極め、彼らの活動を支える両名に日本のスタートアップ業界の特徴と展望について話を聞きました。

「アイデアがすぐカタチになる」プログラムに没頭した学生時代

――― 現在はそれぞれスタートアップを支援する立場のお二人ですが、今日に至るまでの経緯を教えて下さい。

鎌田 私が大学生だった当時はマイクロソフトに代表されるソフトウェア産業の黎明期でした。ソフトウェアの開発は知識とコンピュータがあれば誰でも可能で、さらに製造原価も製造設備も不要。アイデアがあれば学生でも起業可能でした。そこで私も荒川亨氏(故人)と一緒にソフトウェア開発会社を設立しました。当時の法律では、株式会社の設立に資本金が最低でも1千万円も必要だったため、当初は有限会社としてスタートしました。

澤山 実は私も高校時代はプログラミングに没頭しました。夢中になった理由も鎌田さんと同じで「知識さえあればアイデアを簡単に具現化できる」こと。また同じ時期に「バイオテクノロジー」 にも没頭しました。ヒトゲノム計画(人間の全ゲノムの情報を解読するための国際的プロジェクト)で有名なクレイグ・ヴェンター氏の来日を伝える小さな記事を見つけて、会いに行ったのを覚えています。大学では1年生の頃から研究室に出入りしていました。当時の夢は生物学者になることでした。

鎌田 会社設立後はインターネット通信用のソフトウェア開発に取り組み、規模を拡大しました。中でも携帯電話向けWebブラウザがNTTドコモの「i モード」に採用されたことは、会社にとって大きな転機となりました。2001年に東証マザーズに上場し、グローバルに事業を展開。同社を2011年に退任し、現在はテクノロジー・スタートアップの起業支援を行っています。

澤山 大学院生の頃のインターン経験をきっかけに「金融」にも関心を持つようになり、卒業後は外資系投資銀行に就職しました。その後は国内証券会社に転職して国内スタートアップの調査と支援を担当。3年前に現在の会社(ベンチャー・キャピタル)を立ち上げることになり、主に早期の段階におけるスタートアップ支援を担当しています。

ljsk_016.jpg鎌田 富久 氏(TomyK Ltd.)

「成功者が次の成功者を産む」 エコシステム構築は急務の課題

――― 現在の国内スタートアップを取り巻く環境についてどのようにお考えですか。課題があるとすれば何でしょうか。

澤山 国内スタートアップ市場は2012年頃を節目に大きく変化しました。市場規模は右肩上がりに伸長しており、新規公開株も順調に増加。より大規模の資金を調達する会社の数も増えています。もっとも、米国のスタートアップ市場の投資規模は約7兆円に上ります。これに対して、国内市場の投資規模は約2千億円どまり。依然として日米間には大きな格差があります

鎌田 この格差は簡単には埋まらないでしょうね。NASDAQ(米国の新興企業向け株式市場)が誕生したのが1971年。これに対して東証マザーズ(東京証券取引所の新興企業向け株式市場)の誕生は1999年でした。国内にようやく新興企業向け市場が生まれた頃に、すでに米国では「元起業家が次の世代の起業家を育成する」という「エコシステム」が完成していましたから。

澤山 国内市場の環境も年々改善していますが、最大の課題は、鎌田さんのおっしゃるような「成功者が次の成功者を育てる」というサイクルの問題でしょう。スタートアップが起業に成功し、成功後は彼らが新たな投資家や指導者となって次世代の起業家を育成する。このサイクルを循環させて強固にすることが必要です。 米国では戦後すぐからサイクルが循環していますが、日本はまだ3~4周目くらい。その差は少しずつ埋めるしかありません。

鎌田 また、国内スタートアップ市場の課題には「大きく育てる力が弱い」点もあります。たとえば、国内では百億円規模の資金調達は非常に困難です。大企業による買収例もまだまだ少ない。その結果として、国内市場からは「ユニコーン(企業価値が1千億円以上のスタートアップ)」がなかなか生まれてきません。

澤山 その点については私たち投資家側の課題も大きいと思います。特に日本では機関投資家による投資額が少ない。市場規模を拡大するには、大きなサイズの資金運用ができる投資家が増える必要があります。場合によっては、海外のベンチャー・キャピタルの国内市場投資を促進する必要もあるでしょう。

ljsk_035.jpg澤山 陽平 氏(500 Startups Japan)

スタートアップは困難の連続 求められるのは「チームの力」

――現在注目している領域や研究分野はありますか。

澤山 ひとつは国内特有の課題を解決する方法です。たとえば私たちは「人事労務の面倒な手続きを簡略化」するスタートアップ を支援しています。この領域の課題は意外と深く、海外の競合他社が市場に参入してきても堂々と戦えます。私はこれを「超ローカル」路線と表現しています。もうひとつは「グローバル」路線。こちらの重要性は明確です。その場合の突破口は「世界で通用する技術」になるでしょう。その技術開発にも注目をしています。

鎌田 かつて高校生の澤山さんがヒトゲノム解読プロジェクトの世界に惹かれたように、現在のバイオ領域では非常に大きな変化が起きていることに注目しています。従来は不可能だったことが可能になり、その社会応用も期待できる。市場はその期待感で満ちています。

澤山 いわゆる「黎明期特有の興奮感」ですね。私もバイオテック領域に対しては強い関心があります。私は以前から「第4次産業革命とは生物を機械のように扱える時代だ」と考えてきましたが、まさにその時代が到来しつつあると感じています。

鎌田 個人的には「認知症」にも関心があります。「なぜヒトは老化するのか」という疑問も徐々に解明され始めています。

澤山 米国でも「老化」はホットテーマの1つですね。ここ5年ほどで「老化」分野の研究はかなり進展しており、そこから新たな「ビジネスの種」になり得るものが出始めています。

――最近は大学の研究室仲間や友人同士でグループを組んでスタートアップを始めるなど、起業スタイルも変わりました。

澤山 それは必然的な変化でしょう。そもそもスタートアップは困難の連続であり、何ひとつ思惑通りには進行しません。無限とも思える試行錯誤を繰り返して正解にたどり着くには、チームとしての底力が要求されます。そもそもスタートアップの時点では製品も売上高も何もない。技術はあってもそれが将来利益を生むかどうかもまだわからない。だから投資家は「どういうチームで事業に挑戦するのか」を見て評価するのです。

鎌田 IT産業系やソフトウェア開発系では当初より若い人たちが活躍していましたが、最近では創薬系やメディカル系でも同世代の 活躍が目立ちます。私はよく「情熱と執着と忍耐があれば成功するまで続けられる」と説明しています。会社経営に関する知識は後からでも修得できます。それよりも「途中であきらめない」「粘り強く対応できる」ことの方が大切なのです。

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日本橋に対する期待は「酸素濃度」 「ラディカルな人材が集まる街に」

――最後にお二人から現在の日本橋に対する印象、LINK-Jの活動に対する感想や今後の期待があればご指摘下さい。

鎌田 ライフサイエンスの世界では法制度や医療制度が現実 社会の後追いになっている場面が多々あります。こうした状況に対して、企業や研究機関がそれぞれ個別に訴えても状況はなかなか変えられません。業界団体という大きな枠組みで関係各方面に働きかけを行うことで、現状をより良い方向に変えていく―今後はそうした活動にも注目をしたいと思います。

澤山 なぜシリコンバレーは特別な場所になりえたかといえば、あの街にはラディカル(過激的/急進的)な考えを持つ研究者や起業家や投資家が集結しているからです。いわば街全体が「酸素濃度が高い」状態。同様に日本橋も「ラディカルな人材が集結する街」になれば様々な変化が期待できます。街全体の酸素濃度が高まれば「日本橋にいるとラディカルでない人でもラディカルな気風に染まる」なんてことも可能かもしれませんね。

鎌田 LINK-Jが他の業界団体と比べて大きく異なる点は「ライフサイエンス」という共通テーマのもとに大企業/新興企業/研究者など様々な立場の人たちが垣根を超えて参加している点 です。これは他のコミュニティではあまり見かけない特徴です。もっとも現状ではその「混ざり方」がまだ少し足りない――澤山さん風に表現すると「酸素濃度がまだ低い」。既に下地はあるのでそこが変われば日本橋はさらに面白くなるでしょう。

kamata.png鎌田 富久 氏
東京大学大学院理学系研究科情報科学卒業。 理学博士。在学中の1984年にソフトウェア開発会社「ACCESS」を荒川亨氏と設立する。同社が開発したインターネットブラウザソフトは「i モード」対応携帯電話やゲーム機など様々な端末に導入された。2001年に東証マザーズに上場。2011年に同社を退任すると、テクノロジー・スタートアップを支援する「Tomy K」を設立。ロボティクス/人工知能/情報通信/ゲノム/医療/宇宙など先端技術領域のスタートアップ設立を支援している。

sawayama.png澤山 陽平 氏
東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻修了。卒業後はJPモルガンの投資銀行部門に就職する。その後、野村證券の未上場企業調査部門で未上場企業の調査/評価/支援業務に従事する。2015 年に米国のシード投資ファンド「500 Startups」の日本進出にあたり日本のマネージングパートナーに就任。スタートアップの支援を担当している。高校生の頃からプログラミングを趣味としており、現在でも個人活動を展開している。

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