「無細胞膜タンパク質調製技術」を用いた創薬型ベンチャー「リベロセラ株式会社」の代表取締役を務める野澤厳氏と研究開発部長を務める菅家徹氏のお二人より、これまでのキャリア、同社設立の経緯と今後の展開などについてお話を伺いました。
左:野澤 厳氏(薬学博士/リベロセラ株式会社代表取締役社長)
右:菅家 徹氏(理学博士/リベロセラ株式会社取締役CTO/研究開発部長)
手つかずのGPCRから新薬を発掘
――2018年4月に「リベロセラ株式会社」を起業されました。まずはリベロセラの概要についてお聞かせ下さい。
野澤 リベロセラ株式会社は、理化学研究所の横山茂之博士が開発した「無細胞タンパク質調製技術」を用いて、膜タンパク質の一種である「GPCR(Gタンパク質共役型受容体)」を標的とした新薬開発に挑戦する創薬型ベンチャーです。近年、創薬における標的分子の枯渇が問題となる中で、GPCRは未来の創薬において重要な標的分子として期待されています。しかし、既存の技術では細胞からの抽出や合成が非常に難しいのです。ヒトには約800種類のGPCRが存在しており、そのうち約半数が薬剤の標的分子になり得ると考えられていますが、実際にはその半数以上がいまだ手付かずの状態にあるといわれています。そこで私たちは「無細胞タンパク質調製技術」を用いて初めて調製が可能となる膜タンパク質を標的とした "ファースト・イン・クラス"となる画期的な新薬を開発し、いち早く患者様の元に届けたいと考えています。
――リベロセラへの参画に至るまではどのような仕事に携わっておられたのですか。
野澤 もともと、長年にわたって製薬業界で働いてきました。久光製薬株式会社では研究開発部門に配属となり、同社が米国に研究所を設立した際には、現地のベンチャー企業やアカデミアとの共同研究の推進役を担いも担当しました。帰国後は、核酸技術を用いた標的スクリーニングを行う社内ベンチャー「ジェノファンクション株式会社」の代表取締役への就任、さらに核酸医薬の候補化合物開発に挑戦する国内ベンチャー「タグシクス・バイオ株式会社」に移籍するなど、仕事の内容も次第にベンチャー業界にシフトしていきました。後にインドの製薬会社サンファーマ社の日本法人設立にかかわることになり、ベンチャー業界から一旦は離れたのですが、ベンチャーキャピタルのBeyond Next Ventures株式会社から「横山博士の研究成果を事業化したいが、経営を引き受けてくれる人材を探している」と聞かされ、再びベンチャー業界に復帰することになりました。とはいえ、今回はイチからの起業であり、何もかもが初めての経験でした。日々勉強をしながら、皆様のサポートを得て準備を進めてきました。
菅家 私も四半世紀にわたって創薬研究の現場を歩んできました。興和株式会社では新薬研究所に配属され、創薬研究のいろはを研究現場で学んできました。その他にも、アカデミアとしてはストラスクライド大学(英)および岡山大学大学院医歯薬学総合研究科で、ベンチャーとしては株式会社カイオム・バイオサイエンスで研究職を務めてきました。製薬会社に在籍していた頃にGPCRに関するプロジェクトを担当したこともあり、「GPCRは非常に魅力的な標的分子だが、それらをターゲットとした医薬品の開発が非常に難しい」ことは身をもって知っていました。そうした経験もあって、横山博士が開発に成功し、リベロセラ株式会社が実用化を目指す「無細胞タンパク質調製技術」を聞き、参加を決意しました。
――とはいえ、基礎研究の実用化は簡単なことではないと思います。なぜこの事業に参加しようと思われたのですか。
野澤 横山先生は以前から存じ上げていたこと、さらに米国での共同研究の経験を経て、私自身も「新たなサイエンスから誕生した技術で社会に貢献したい」という気持ちがあったことが、その理由です。そして横山先生の技術によって、画期的な医薬品の開発が可能になると確信しました。当時の横山先生のお話の中で、今もはっきりとおぼえている言葉があります。「『薬の開発』という形で実用化を目指すのも、基礎研究の延長線上であり、ゴールに近づくことなんだ」。このお言葉もも参加を決めた理由のひとつですね。
菅家 私自身も創薬研究に関与しており、特に抗体医薬の開発に長年にわたって挑戦してきました。他業種の技術を導入する「技術アライアンス」のコーディネート業務の経験もあるので、どのような技術を組み合わせることで独創的な抗体医薬が実現できるかを、自分たちで検証したこともあります。だからこそ、横山先生の開発した技術のレベルの高さを知り、さらに「すでに約300種類のヒトGPCRについて検討を完了させている」と聞いた時は「これは全く次元の異なるブレイクスルーになり得る!」と確信しました。今回のリベロセラ株式会社への参加は、私の人生にとっては大きなチャレンジではありますが、同時に大きな転機になると考えています。
自社創薬と共同研究の両輪を目指す
――現在は本社所在地(横浜市)とは別に、日本橋でも活動を展開されていますね。
野澤 理化学研究所横山特別研究室との共同研究のため、横浜市鶴見区のインキュベーション施設内に本社を設置していますが、それとは別に、本店として東京・日本橋のシェアラボ「Beyond BioLAB TOKYO」にも入居しています。日本橋のシェアラボには実験設備があること、また創業2年目のベンチャーとしては、なるべく初期投資を抑えたいという考えもあり、同施設のお世話になることを決めました。
菅家 日本橋・室町周辺には、日本を代表する数多くの製薬各社が拠点を置くことから、非常に利便性が高いという特徴もありますね。私たちも本店登記を日本橋にすることができたので、名刺をお渡しすると「御社も日本橋にあるんですね!」と驚かれることが少なくありません。初対面の人に対する"アイスブレイク"という意味でも、現在の日本橋オフィスは非常に良い環境にあると思います。
――最後にリベロセラ株式会社の今後の展望についてお聞かせ下さい。
野澤 ヒトのGPCRは非常に多くの疾患に関連しているといわれています。私たちとしては、その中でも炎症性疾患・がん・希少疾患・中枢性疾患を対象とした創薬研究に挑戦したいと考えています。
菅家 医薬品の研究開発には長い時間と多額の費用が掛かります。そこで当面は「創薬における初期の探索段階」から「リード化合物・抗体の薬物活性プロファイルの解明と最適化」ステージまでを事業の中核としていきます。しかし将来的には「これは是非とも自分たちの手で製品化に挑戦したい」と思える候補物質については、開発段階の後期、すなわち臨床試験のステージまで自分たちの手で実施してきたいと考えています。
野澤 私たちは、自社創薬と共同研究の「両輪」の展開を考えています。すなわち、自社技術を活用して創薬の標的分子を同定した上で、じっくりと腰を据えた創薬を目指す「自社パイプライン型」と、開発早期の時点から製薬企業との共同研究を展開し、短期間での製品開発を目指す「共同研究型」です。その成果を1日でも早く患者さんにお届けしたいと思います。
薬学博士。大学卒業後はライオン株式会社,久光製薬株式会社勤務を経て株式会社ジェノファンクション(後に吸収合併されて株式会社アルファジェン)で代表取締役を務めた後,タグシクス・バイオ株式会社で事業開発業務に従事。2012年にサンファーマ株式会社に入社し、日本事業本部の立ち上げに尽力する。2018年4月にリベロセラ株式会社に入社し、現在は代表取締役社長を務める。
理学博士。大学卒業後は興和株式会社の創薬研究部門で主任研究員を務める。産学共同研究の客員研究員としてストラスクライド大学(英国)に留学し博士号を取得。2006年には岡山大学大学院薬理学分野で助手(後に助教)を務めている。バイオ技術の新興企業での臨床開発部門を経て、2009年よりリブテック(後に吸収合併によりカイオム・バイオサイエンス)で抗体医薬研究開発に従事。2019年2月にリベロセラ株式会社に入社し、現在は研究開発部長を務める。