製薬産業からアカデミアまで、創薬研究の第一線で活躍する人々にご登壇頂き、創薬の最前線を語って頂く「創薬のフロンティア」。今回は冒頭基調講演として内藤晴夫氏(エーザイ株式会社)にご登壇頂き、認知症に対する同社の取り組みと、創薬研究に対する姿勢などについて語って頂きました。その後、深層学習・エクソソーム・核医学・核酸医薬に焦点を当て、4人の講師の方が講演およびディスカッションを展開しました。イベント終了後は、リアル会場(東京・日本橋)にて4年ぶりの立食懇親会および名刺交換会を開催。会場には約200名が来場し、ネットワーキング会場では熱気が溢れました。
主催:LINK-J collaborated with Blockbuster TOKYO
開会挨拶
岡野栄之氏(LINK-J 理事長/慶應義塾大学医学部生理学教室 教授)
基調講演「創薬精神について」
内藤晴夫氏(エーザイ株式会社 取締役 兼 代表執行役CEO)
認知症領域、特にアルツハイマー病の研究開発で目覚ましい成果を上げるエーザイ株式会社からは、最高経営責任者の内藤晴夫氏が登壇。アルツハイマー型、レビー小体型認知症治療剤「ドネペジル」の頃から新薬開発に辣腕を振るってきたリーダーであり、また期待の抗体治療薬「レカネマブ」の米国における完全承認取得を3日後(註:実際にこのシンポジウムの3日後の米国時間の7月6日に完全承認されています)に控え、多くの関係者の注目が集まる中、自称「創薬業界のオールドソルジャー」として、失敗にも耐える創薬魂と、同社における抗認知症薬の開発史を紐解きながら、創薬研究における原理鉄則について解説しました。
認知症領域で躍進を続けるエーザイですが、その開発の歴史は常に順風満帆ではありませんでした。抗認知症薬として大成功を収めた「ドネペジル」でさえ、開発当初は失敗に次ぐ失敗を経験して、ようやく実用化に成功。続いて、アルツハイマー病の根本原因である「アミロイドカスケード仮説」に基づき、様々な治療薬候補を生み出しましたが、いずれも上市には至りませんでした。内藤氏は「失敗をしなければ成功もしない」という経験則を紹介。失敗を重ねることで、成功に至るまでの「海図」ができあがるといいます。
では創薬研究の成功を決定する「海図」とは何か。内藤氏は、成功に不可欠な要諦として「4つのポイント」を挙げます。すなわち、仮説は正しいか? 対象設定は正しいか? 用量設定は正しいか? エンドポイントは正しいか?――この4点が確認できるまでは、闇雲に前進すべきではないと指摘。事実、同社はレカネマブの適切な用量設定確認に、実に5年8カ月もの月日を費やしました。内藤氏は「この4点を確認しないまま開発を進めると、95%失敗する」と述べ、「急がば周れ」精神の重要性を強調します。
さらに内藤氏は、同社が長年にわたり認知症の研究開発を継続できた要因として「当社は全業務時間の1%を、患者さんとご家族に寄り添い、彼らの話を傾聴する時間に利用している」といいます。内藤氏自身も、多くの認知症患者さんとご家族に会い、その度に「次の治療薬はいつできるのか?」と問われ、開発に失敗したと報道される度、叱咤激励されてきました。その経験から「こうした活動を通じて得られる暗黙知(経験的かつ言葉にできない情報)も、創薬研究の重要な要素になる」との考察を示しました。
深層学習の創薬への応用
石谷隆一郎氏(株式会社プリファードネットワークス・エンジニアリングマネージャー、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻・特任教授)
続いて、第一線で活躍する研究者4名が登壇し、創薬研究に対する考え方と展望について講演を行いました。トップバッターは、人工知能と深層学習のベンチャーで創薬応用の責任者を務める石谷隆一郎氏。石谷氏は、化合物設計に深層学習を導入することで、既存の化合物とは異なる、新規の構造を持つ化合物合成に挑戦しています。事実、石谷氏らは「新型コロナウイルスに対するプロテアーゼ阻害剤」の設計などに挑戦。実際に合成過程まで行い、高い抗ウイルス活性を持つリード化合物の創成に成功しました。
深層学習の利点について、石谷氏は「既知の化合物構造に依存しない柔軟な設計が可能」「莫大な費用と時間を必要とする合成作業や活性試験などの負担を最小限化できる」などを例示。その一方で、深層学習の注意点として「制限なしで設計させると柔軟性の高い設計ができる反面、合成可能性などを考慮せずにデザイン重視で進めると、結局は最終的な合成に莫大な費用や手間がかかってしまう」と指摘。設計前からドライ(計算科学)とウェット(実験)の研究者が、密に議論を重ねる必要があると訴えました。
エクソソームが切り拓く疾患生物学:病態寄与機構と診断マーカーの解析
星野歩子氏(東京大学 先端科学技術研究センター・教授)
続いて登壇した星野歩子氏は、細胞間メッセージ物質として注目を集める「エクソソーム」に関する研究と創薬研究の可能性について講演しました。エクソソーム自体は、非常に小さな物質ですが、がん、妊娠高血圧腎症、自閉スペクトラム症など、様々な疾患との関連性が判明しています。星野氏はその1例として、がん転移との関連を紹介。がん細胞が放出するエクソソームがあらかじめ転移先の臓器に集結することで、がん細胞が転移する環境ができることを発見し、マウスによる再現実験にも成功しました。
こうした現象から、星野氏は「未来のがん転移先臓器の環境変化が始まった時点から、既にがんの転移は始まっている」と考察。次の一手として、変化した臓器を原状復帰させて転移を防ぐ治療、がん細胞由来エクソソームを体内から完全除去する治療、がん転移先臓器に移行するエクソソームの特性を逆手に取って、治療薬を効率的に転移先に運搬する薬物送達システムなどの応用可能性を紹介した上で、今後もさらに研究を重ねて、エクソソームの全容解明と創薬標的の探索を続けたいという展望を述べました。
核医学治療推進における異分野連携-ラジオセラノスティクスと産業創出-
稲木杏吏氏(国立がん研究センター先端医療開発センター機能診断開発分野 分野長)
続いて、放射性元素をがんの診断・治療に応用する「核医学」の研究開発に取り組む稲木杏吏氏が登壇し、核医学を用いたがん治療の現状と展望について講演しました。核医学とは、放射線を放出する元素(核種)と、がん細胞に選択的に結合するリガンドを合体させた物質を用いて、体内のがん細胞を可視化または治療するための技術です。核種が放出する放射線でがん細胞を攻撃するという、非常に単純明快な治療ですが、その開発の歴史は意外と浅く、二十世紀はたった1つの甲状腺がん治療薬しか承認されていませんでした。
ところが今世紀に入ると、放射線治療薬が続々と登場。開発の風向きが一気に変わります。核医学は、治療手段が乏しい希少がんにも高い効果が期待できる反面、核種の製造方法が特殊で、生産国も限定的です。いま一部の国で利用されている前立腺がん治療薬の場合、世界中の核種を集めても、世界中の患者の1%分しか確保できないという試算結果も。稲木氏は「海外ではビッグファーマも開発に乗り出している。今後は日本でも「産」の参加に期待したい」と述べ、三者連携での問題解決に期待を寄せました。
核酸医薬の有効性と安全性を向上させる新規分子技術
和田 猛氏(東京理科大学 薬学部 教授)
講演の最後を務めたのは、核酸医薬の専門家である和田猛氏。核酸医薬は、従来の医薬品では治療が難しい疾患にも治療効果が期待できること、合成で安価に製造できることから、いま注目を集める創薬研究のひとつです。一方で課題も多く、たとえば現在の製造技術では数十万単位で立体異性体(原子配列は同じでも空間的な配置が異なる分子)が混在してしまうこと、立体制御技術で異性体の発生を制御できれば、より高い効果が期待できること、しかし既存技術ではその制御が難しいことなどが知られています。
これに対して和田氏は、立体異性体(R体およびS体)を選択的に合成可能な独自技術を開発。同技術をもってベンチャー企業を設立して、自ら事業化に乗り出しました。現在はWave Life Sciences社として、米国・ボストンを中心に事業を展開中。製品開発も順調に進展しており、現在の開発パイプラインには、第2相段階が2品目も含まれています。和田氏は「今後は、さらに新たな核酸誘導体の開発にも挑戦したい」と述べ、従来の製品よりも毒性が低く、安全性の高い核酸医薬の開発にも意欲を示しました。
パネルディスカッション
モデレーター:岡野栄之氏
登壇者:内藤晴夫氏、石谷隆一郎氏、星野歩子氏、稲木杏吏氏、和田猛氏
イベント後半のパネルディスカッションでは、岡野氏の司会のもと、演者5名が来場者およびオンライン視聴者から寄せられた質問に回答しました。認知症の発症を未然に防ぐ治療の可能性について、内藤氏は「プレクリニカル(軽度認知障害よりも前段階)に対する試験も進行中」とした上で、同試験は血液検査でアミロイドβの沈着状況の把握に挑戦していると指摘。大規模な診断装置や脳脊髄液でなくとも、血液由来バイオマーカーで認知症の進行を把握できる時代が、そこまで来ていると述べました。
会場からは「(自分の健康状態を知るために)たとえば健康診断などで、自分のエクソソームの状態を調べられるようになるだろうか?」との質問も。これに対して星野氏は、エクソソームを効率的に回収するデバイスも、回収したエクソソームを解析する技術も既に存在していると述べた上で、健康診断に対する応用可能性について「将来性のあるテーマだと思う」と太鼓判を押します。その上で「将来は体内のエクソソーム分布を見ることで、自分の臓器の状態がわかるようになるだろう」との展望を示しました。
さらに岡野氏は「創薬研究における心構え」を5名に質問。内藤氏は「成功に不可欠な4要諦(仮説・対象・用量・評価項目)を確認する作業が大切(特に仮説の証明は最も重要!)であり、そこに至るまでの失敗は全て許容されると思う」と断言。これまでの失敗も、全て貴重な学びの場になったといいます。石谷氏も「計算科学の世界も同様で、新しいアルゴリズムなど思いつく度に試してみるが、ほとんどは成功しない」と自身の経験を振り返り「それでも挑戦し続けることが重要だと思う」との見方を示します。
星野氏は、これまで基礎研究者として活動しながら「優れた基礎研究は、いつか誰かが社会実装してくれるものだと思いこんでいた」が「社会実装も基礎研究者の仕事であることに、最近ようやく気づいた」といいます。同様に稲木氏も「わたしもずっと、誰かが基礎研究の成果を社会実装してくれると思っていた」と振り返り、「最近は社会実装に対するマインドが湧いてきた」という星野氏の言葉に「非常に心強く思う」とエールを送りました。和田氏は「思い通りの結果にならないと失敗だと思ってしまうが、サイエンス的には「失敗」はない」と指摘。失敗=予見しない結果を通じて何を学ぶかが重要だと訴えました。
イベント終了後は、コロナ禍で長らく中止していた立食懇親会および名刺交換会を、実に4年ぶりに実施。講演者と来場者の間で、活発な意見交換などが行われ、また「Meet UPブース」ではLINK-J特別会員創薬系スタートアップなどの事業内容、取り組みを発信する企業ブースを設けました。当日会場までお越し頂いた皆様、またオンラインにて講演を拝聴された皆様には、心より御礼申し上げます。