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インタビュー・コラム

iPS細胞から角膜内皮代替細胞を効率的に製造 世界中の角膜移植待機患者へ新たな治療法を目指す株式会社セルージョン

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角膜移植を待つ患者は全世界で約1300万人に達する一方で、移植手術が行われるのは約18万件と、治療の需給ギャップが課題となっている中で、角膜の内皮細胞の代替となる細胞をiPS細胞から大量生産することに成功した株式会社セルージョン。これにより、ドナー不足の解消や手術時間の短縮、合併症のリスク低減など、治療が困難だった水疱性角膜症の克服を加速させています。自らも眼科医である同社代表取締役社長の羽藤晋氏に、お話をお伺いしました。

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羽藤 晋 氏(株式会社セルージョン代表取締役社長)

アイバンクと熟練した手術医の不足が課題
角膜移植の待機患者は1300万人に

―まず起業に至った経緯をお聞かせください。

羽藤 私は1998年に慶應義塾大学医学部を卒業して以来、臨床の眼科医として角膜移植を専門に携わってきました。角膜移植は移植医療の中でも最も歴史が古く、100年以上前から行われており、手術手技が進歩した一方、様々な合併症が多く、世界的にドナー不足が問題となっていて、解決すべき課題が多い治療法です。

医師としての臨床現場での活動と並行して角膜の再生医療をテーマに博士研究を進め、特に山中伸弥先生がiPS細胞を発見されたことから、iPS細胞を用いた角膜の再生医療ができないかと研究を続けてきました。私たちは出てきたシーズを活かして角膜移植が受けられない世界中の患者を治療したい、そして、それを社会実装させたいと考えていました。それなら自分自身で汗をかいて実用化を目指そうと決め、2015年に株式会社セルージョンを設立しました。

―創薬パイプラインにある水疱性角膜症とはどのような疾患なのか、またどれくらいの人が角膜移植をしているのか教えてください。

羽藤 角膜移植の適応疾患の約半数以上は角膜内皮細胞の機能不全である水疱性角膜症という病気です。発症の要因は、遺伝性疾患と合併症の大きく2つあります。一つ目の遺伝性疾患は角膜のジストロフィーの一種であるフックス角膜内皮変性症で、遺伝子異常によって5060歳頃から発症します。二つ目は緑内障や白内障の手術のダメージで内皮細胞が傷んでしまって水疱性角膜症になることがあります。欧米で多いのは遺伝性疾患で、日本やアジアでは白内障手術の合併症などで発症する場合が多く、国によって発症要因は少し異なります。

現在、角膜移植の待機患者は約1300万人で、ドナーが不足しているだけでなく、ドナーから患者に角膜を届けるアイバンク自体の不足が問題となっています。アイバンクの整備には文化的な成熟度や一定以上の社会的な医療水準が必要なため、全世界で整備されているわけではありません。加えて、移植ができる眼科医も不足しています。角膜移植は眼科の中でも非常に難しい手術で、専門的な訓練を受けた手術医でなければできません。これら3つの要因から角膜移植件数は世界で年間わずか18万件と、治療に大きな需給ギャップが生じていて、これが角膜移植のアンメット・メディカル・ニーズになっています。

―角膜移植では拒絶反応があってもそれほど強くないのでしょうか。

羽藤 角膜は血管が入り込んでない透明な組織なので、他の臓器に比べて拒絶反応の発生率が少なく、100年以上前から移植治療が可能でした。その長い歴史の中で、拒絶反応が起きたときにどう対処していくか知見も蓄積しています。具体的には角膜移植後にステロイドの目薬で炎症を抑え、免疫抑制をかける方法などが知られています。こうしたことから角膜移植では血液型もHLA(ヒト白血球抗原)のマッチングも必要ありません。人種の異なる海外のドナーの角膜を日本人に移植することも普通に行われています。もちろん拒絶反応はゼロではありませんが、比率としては少なく、コントロール法も確立されていることが角膜の移植治療の特徴です。

iPS細胞を用いた治療の場合、HLAの問題などもありますが、角膜移植は再生細胞医療に適しているわけですね。

羽藤 はい。角膜は拒絶反応が少ないだけでなく、目の中の環境は免疫寛容であるために他家移植が可能です。角膜は3層構造になっていて、一番表面が上皮細胞、中央が実質細胞、一番裏側にあるのが内皮細胞です。各層によって考え方は異なりますが、特に内皮細胞に関しては拒絶反応がコントロールしやすいため、他家移植での治療が期待できるわけです。

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iPS細胞から内皮細胞への製造法を
独自技術でブラッシュアップ

2015年に起業されていますが、その時点での進捗状況はいかがでしたか。

羽藤 ウサギなどの小動物での有効性や細胞製造のプロトタイプが見え始めてきた段階で創業しました。その後も、基盤となる基礎的なデータを積み上げました。次に事業の将来像を描き、ビジネスモデルと研究データと併せた形で2019年に国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の研究開発型スタートアップ(STS)支援を獲得しました。大きな資金獲得のために基礎的なデータも蓄積してきたので、結構時間はかかっています。その間、慶應義塾大学のラボで獲得した公的な研究費などを使いながら開発を進め、2019年まではほぼ私一人で取り組んできました。

―そこに至るまでの一番大きなマイルストーンは、どのタイミングでしたか。

羽藤 一つは、起業してから資金を獲得するまでの期間中に、iPS細胞から内皮細胞への製造法や分化誘導技術を、実用化を常に念頭におきながら精査したことです。もともとの製造法では発生学的なプロセスを踏む形で、まずiPS細胞から中間体の幹細胞まで分化させ、次の前駆体まで分化させて、最終的な組織である内皮細胞に分化誘導させるステップ・バイ・ステップで取り組みました。ただ、このアプローチではせっかくiPS細胞で増やしても最終的に採れる内皮細胞の数は少なく、製造工程も複雑で長期間かかってしまうという課題がありました。そこを短期間で簡便に細胞分化できるようにし、iPS細胞から直接的に内皮細胞を分化誘導させる製法を作り出しました。この方法なら堅牢性も高く、品質管理にも適しており、研究室の製造法を医薬品開発製造受託機関(CDMO)に技術移転させるハードルも低くなります。この新たな分化誘導方法を見い出したことで、社会実装まで進められるという確信を持ったのが2017年頃です。それが一つのブレークスルーになりました。

―実際にビジネスを展開していくときに、どのような協力やアドバイスを受けましたか。

羽藤 起業後すぐに株式会社iPSポータルから最初の資金調達を受け、元レグセル株式会社代表の松田直人さんをメンターとして紹介してもらい、資本政策や計数計画など事業計画の立て方について指導を受けました。そこで作成した事業計画書を慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)に提出したところ、KIIにも株主に加わってもらえました。KIIから本郷有克さんが取締役として参画し、様々なハンズオンサポートをしてくれました。

―昨年には厚労省の認可を受けて臨床研究の準備中であると同時に、医薬品受託製造の契約も済み、薬事承認を目指した治験医薬の製造を見据えるところまで来られました。大学での研究から創業、その間の資金調達も含めたビジネス展開をどのように進められたのですか。

羽藤 手元資金と研究開発進捗状況の両輪を睨みながら事業を進めていますが、資金調達にはやはり事業の不確実性を下げる研究成果が欠かせません。まずシリーズAで獲得した資金を用いて、研究開発ではファースト・イン・ヒューマン(FIH)臨床研究の準備として、サルを用いた有効性PoC、各種の安全性試験を通じてデータを積み重ねてきました。また、慶應義塾大学病院の細胞培養加工施設(KHCPC)では、臨床研究用の細胞製造を行う準備にも取り組んできました。

さらにKHCPCでの製造準備と並行して、早い段階から続く治験を念頭に株式会社ニコン・セル・イノベーション(NCLi)とのCDMO契約を進めました。私たちがCPCや研究室で蓄えてきた独自の製法とNCLiが有するノウハウを組み合わせる形で商用製法開発を進めています。このように少しずつマイルストーンをクリアしながら獲得した成果を用いて次の資金調達し、新たな人材を確保し、研究開発や業務提携で研究成果をあげる。このように両輪を適切に制御しながら徐々に開発のスピードを上げてきているところです。

―会社の体制を教えてください。

羽藤 全員で今は16人です。半数以上が研究開発メンバーで、残りがバックオフィスメンバーです。もともと慶應義塾大学発のベンチャーとしてスタートし、慶應義塾大学眼科学教室と共同研究で進めていたので、初期の研究開発は大学の研究室中心で行いました。そして2019年にCFOとして製薬企業出身の林田が参画し、シリーズAの資金調達、次の段階としてCMCのリーダーとしてバイオベンチャーで活躍してきた吉崎を採用し、製法改良やCDMOへの技術移管などを開始しました。FIH臨床研究準備に必要な研究成果が出た昨年末にシリーズBの資金調達を行い、臨床試験準備を推進する新たな人材獲得し、研究体制の拡充と合わせ、それをサポートするバックオフィスメンバーも補強し、バランスよく組織体制を整えています。

―日本橋ライフサイエンスビルディングの地下1階にあるシェアラボもお使いいただいています。

羽藤 大学の研究室は探索的な研究は得意ですが、臨床研究や治験に向けたCMCなどの実用化に必要な研究とは毛色が違います。大学の研究室とは共同研究という形でその強みを活かしつつ、自社の研究室ではより実用化に向けた研究開発を行うという線引きをしています。

それまでは慶應義塾大学信濃町キャンパスの近くに小さなオフィスを借りていましたが、2020年に日本橋にBeyond BioLAB TOKYOがオープンすると聞いてすぐに入居申込しました。オフィスと研究所が離れていると移動に時間がかかるため、研究所の近くにオフィスを構えたいと思っていました。また、小さい会社なので研究メンバーとバックオフィスメンバーが風通しを良く密にコミュニケーションできることを重視して、研究所近くにオフィスを移転しました。

さらに技術移管後も治験や商用に向け、今後もCMCの課題は続くため、自社のウエットラボは必要です。最初のパイプラインがCLS001というパイプラインですが、もちろん、それ以外の後続パイプラインをしっかり研究開発するためにも研究所は欠かせません。いま困っているのは、研究開発活動が多岐にわたってきたため、ラボが手狭になってきたことです。また、時間と同様に人材も宝です。ベンチャーがいい人材を獲得するのは、容易ではありません。この点からも多様性に富んだ豊富な人材環境がある東京から離れないで、事業拡大にも対応できる場所を検討しなければいけないなと考えています。

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海外展開と同時に次世代の細胞治療や再生医療に
新たな付加価値をつけたい

―ここまで振り返ってみて、どんなことに苦労されましたか。

羽藤 苦労の連続でしたが、幸いにも縁に恵まれて会社を続けてこられました。恵まれた要因は第一に「人」です。最初に指導してもらった松田さんやKIIの本郷さんなど、多くの方々の指導で今の会社の形ができました。また、その後に採用したCFOの林田やCMCのリーダー吉崎、経営管理部長の林といった社員たちにも恵まれ、みんなの力で生き残ってきたと感じています。

―今後の展開について、お聞かせください。

羽藤 iPS細胞を用いた角膜再生医療で全世界の水疱性角膜症患者を治したいというのが出発点なので、国内での薬事承認だけではなく、欧米やアジアなどグローバルに展開するための準備も進めています。一方で、CLS001のグローバル展開以外にも次世代細胞治療や再生医療に新たな付加価値をつける探索的研究を進めることも重要です。角膜疾患を入り口にして他の眼科領域、他の臓器にも挑戦していきたいと考えています。そのためにCLS001の研究開発人材の拡充と同時に、探索研究のメンバーも増やしているところです。また今後はグローバル展開も見据えたアライアンスパートナーも積極的に探していきたいと思っています。

―治験はある程度まで御社でされるのですか。

羽藤 自社のケイパビリティを増やしていくことが将来の成長につながるので、治験もできるだけ自社で関わって進めたいと考えています。そうはいっても小さなベンチャーができることは限られます。アライアンス先の製薬企業が重要な開発パートナーになりますので、パートナーの要望も考慮しながら、注力する地域や自社の役割を絞ってCLS001の治験へ関与して開発を進めていく予定です。

将来的に自社で研究開発から販売までの一連のケイパビリティを内製化していくことは、会社が持続的に成長していく上で非常に重要です。それをどのステージや事業フェーズでやっていくかは、成長度合いに応じて順次検討していきます。最初のパイプラインはどこまで自社で手がけるか、その後の次のパイプラインはどうするか、プロジェクトごとに戦略や事業計画は変わってきます。また、活動地域も柔軟に考えていきます。私たちは生まれたばかりの会社でこれから最初のCLS001FIH臨床研究に入っていく段階なので、気を抜かず汗をかいてやっていきたいと思っています。

――最後に読者へメッセージがありましたらお願いします。

今後、日本のヘルスケア業界が世界でのプレゼンスを上げていくことを牽引するのはベンチャーです。実際、海外ではベンチャーがヘルスケア技術を牽引し、既存製薬企業などが開発を担うという流れになっています。私は日本のベンチャーが頑張らないと、日本のヘルスケア業界自体が世界から取り残されてしまうという危機感を持っています。私が起業した当時に比べ、ベンチャー・エコシステムが整い、環境も雰囲気も改善してきていると感じています。新たに挑戦するベンチャーが継続して出てくる新陳代謝が大事なので、共に切磋琢磨してグローバル市場における日本全体のヘルスケア業界プレゼンス向上へ貢献していきたいと考えています。

hatou.png羽藤 晋 株式会社セルージョン 代表取締役社長

1998年 慶應義塾大学医学部卒業。2002年 慶應義塾大学医学部助手。2005年 独立行政法人国立病院機構東京医療センター(臨床研究センター)、独立行政法人国立病院機構東京医療センター(臨床研究センター)視覚研究部研究員。2013年 慶應義塾大学医学部特任講師。2015年、株式会社セルージョン設立。

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