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インタビュー・コラム

極小針と電気浸透流ポンプによる局所治療で副作用を軽減 アットドウス株式会社の挑戦は、日本とインドで展開中!

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アットドウス(atDose)株式会社は、鍼灸治療に用いるような極小針と電気浸透流ポンプを用いて、患部に直接薬を投与することで、薬物治療に伴う全身性の副作用の最小化に挑戦する、神奈川県発のベンチャー企業です。現在は、超微量局所投薬装置「アットドウス・コア」の実用化を目指して、日本とインドで活動展開中です。代表取締役の中村秀剛氏に、起業の経緯や開発の動機、将来展望などをお伺いしました。

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中村 秀剛 氏(アットドウス株式会社 代表取締役)

経営コンサルタントでのスタートアップ支援を経て、自身も起業に挑戦

――まずは自己紹介からお願い致します。

アットドウス株式会社の代表取締役を務める中村秀剛です。アットドウスは、極小針と電気浸透流ポンプを用いて、新しい投薬デバイスの開発に挑戦するベンチャー企業です。現在は、城西大学との共同研究で、がん細胞に対する局所治療用デバイスの開発を進めています。針を用いて患部に直接薬を投与するので、既存の抗がん剤でも投与量を減らすことができ、結果的に全身性副作用の軽減が期待できます。

※電気浸透:液体を有孔固体壁で仕切り、両側の液体に浸した電極に直流電圧をかけると、液体が孔を通して移動する現象(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)。

――現在の仕事に至るまでのご経歴について、かんたんにお聞かせ下さい。

子どもの頃からモノ作りが好きで、玩具屋さんで百円出せば買えるような、スパイグッズのプラモデルを買ってきては、弟と遊んでいました。小学校3年生になると、プログラムも始めました。最初に購入したのは、関数電卓に毛が生えた程度のポケットコンピュータです。専門誌に掲載されているプログラムをそのまま打ち込むことから始めて、次第にプログラムの自作も始めました。高校生の頃には、ゲームを自作して友人に遊んでもらったり、専門誌に投稿したりしていました。

とはいえ、当初プログラムは趣味に留めておこうと思い、大学卒業後は金型製造企業に就職。最初は金型設計を担当していましたが、プログラムが得意なことが社長にばれて、色々とプログラムの仕事を任されるうちに、いっそ本職にしようと考え、上司に相談。すると「お前は金型設計のセンスがないから、自分のしたい仕事に挑戦してみろ」と後押し(笑)してくれました。転職先では、楕円曲線暗号に関するプログラムを担当。暗号は未経験でしたが、数学は昔から得意なので、週1回、暗号の基礎を教えてもらいながら、当時はまだ珍しいJava(プログラミング言語)を用いた電子投票システムを開発しました。

この仕事の経験が非常に楽しく、引き続きJava関連の仕事をしようと思い、上司に直訴しました。ところが上司曰く「もし今後もJava関連の仕事をしたいなら、専門の会社に転職したほうが良い」と言われ、Javaをベースに基幹系システムを開発していた会社に転職しました。転職後は、客先のシステム導入を担当することになったのですが、その後、社内の情報システム担当者を立候補したにも関わらず、経営企画部に異動しました。新しい上司は最高財務経営者だったので、わたしは簿記の知識がなく、全く会話が通じない。そこで簿記の勉強から始めて、後に中小企業診断士の資格取得にも挑戦しました。中小企業診断士の試験は1次試験のあとに2次試験で紙上コンサルをやるのですが、これが難解でした。土日と平日夜を対象にした大学院の中小企業診断士養成コースに通い始めたのを契機に、コンサル会社の関係者と仲良くなり、コース修了後に同社に転職しました。

――様々な仕事に挑戦されてきたのですね。

多様な仕事の経験を通じて「現場の業務を知らないと優れたシステムは作れない」、「顧客のビジネスを理解しないと、顧客側が真に必要とするシステムは作れない」ことを学びました。特に大きなシステムを組む際は、ヒトとヒトのコミュニケーションや、顧客と合意に至るまでのプロセスも非常に重要です。わたしの場合は、趣味プログラマーからスタートしシステム開発に全く知識がない状態で飛び込み、周囲から教わりながら、苦労して学んできました。

――転職先では、どんなお仕事を担当されたのですか?

基本的には、会社経営に対するコンサルティング業務を担当していました。それ以外にも、自治体との共同でスタートアップ支援プログラムなども担当していました。そのひとつが、川崎市から委託を受けた研究開発型ベンチャー企業支援事業で、そこで平藤衛さん(ヨダカ技研株式会社代表取締役、アットドウス取締役)と知り合い、彼の発想と技術の事業化を目指して起業したのが、アットドウス株式会社なのです。ちなみに、現在もアットドウスの仕事と兼任で、コンサルの仕事も続けています。

――ベンチャーの代表取締役とコンサルタントの兼業は、大変ではありませんか?

起業当初は、アットドウスの仕事は週の半分程度でしたが、現在は事業も進展してきたので、週5日でアットドウスの仕事を、残り2日でコンサルの仕事をしています。アットドウスの取締役は、それぞれ自身の仕事と兼業しています。特にコンサルの仕事は、「(他人にあれこれ言っているが)自分はできているのか?」と、自問自答する場面が多々あります。そんな経験が自分の成長にも、会社の成長にも寄与すると考えています。また、コンサルの仕事を通して広がった人脈がアットドウスの事業に繋がることも多く、相乗効果を実感しています。昨今、複業や副業が広がってきていますが、一人が持つスキル・個性を複数の環境で活かすことは、結果的にそれぞれの企業にもたらす価値を拡げるのではないでしょうか。

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抗がん剤の副作用で会話できない義父の姿を見てから、ずっと疑問だった

――平藤さんとの出会いについてもお聞かせ下さい。

平藤さんは発明家で、彼の頭には沢山のアイデアとそれを実現する技術が詰まっていました。一方で、彼には起業したばかりのヨダカ技研をさらに成長させるという仕事もあって、折角のアイデアも、他の投資家に相談すると、「あれこれ手を出さずに、いまの仕事に集中しなさい」と逆に釘を刺される始末。そこでわたしは、彼の可能性を最大化させるのが自分の役割ではないかと思い、月に2回の打合せでは、技術と課題のマッチングをテーマに色々な話をしていました。そのようなやり取りの中で生まれたのが携帯用小型点滴デバイス(現在のアットドウス・モバイル)です。彼は実際に試作機まで作って見せてくれました。

そしてピッチコンテストの最終日、平藤さんは本来の発表と別に、その試作機を持ち込み、「こんなものを作ってみた」と発表。すると、川崎市の担当者も審査員も、誰もがこの技術を高く評価しました。ところが、平藤さんにはヨダカ技研の仕事があるから、折角のアイデアも事業化の目途が立たない。そこで、わたしが事業化を担当しようと思いました。

――なぜ中村さんご自身が、会社を辞めてまで起業に挑戦されたのですか?

実はわたしの妻の父親は、わたしたちが結婚して2年ほどで、がんで他界しました。彼はがんのため、ずっと入退院を繰り返しており、最期には会話もできず、筆談で意思疎通をしていました。本来、義父のがんは発声と関係ないはずですが、治療を繰り返した結果、会話できなかったのです。その様子を見て、素人ながら「治療することと日々の生活を維持することは両立できないのか、なにかおかしい」と感じていました。だから平藤さんの、極小針による抗がん剤の局所投与というアイデアは、わたしにとっても長年の疑問を解決できる手段だと感じたのです。
また、このデバイスはセンサーやプログラムと組合せて新たな治療プラットフォームを提供できます。モノづくり、IT、経営支援といった私のこれまでの経験を、アットドウスで十分に役立てることができると感じました。これまでの点と点だった経験が一つに繋がった瞬間でした。

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現在は「網膜剥離手術後のシリコンオイルの抜去」での承認取得を目指す

――現在の事業についてお聞かせ下さい。

当社の原点は、電気浸透流ポンプという新技術であり、具体的には、抗がん剤治療などの場面で、局所に治療薬を注入する「アットドウス・コア」をメイン事業として展開していく予定です。さらに、同技術の可能性を広く知ってもらう意味で、わかりやすい応用事例として、患者さんが移動可能な小型の点滴装置「アットドウス・モバイル」、小型輸液ポンプ「アットドウス・マルチ」もコンセプトとして展開しています。

――素晴らしい技術の開発の歴史についてもお聞かせ下さい。

まさに前途多難の道のりでした。当初は肝心の電気浸透流ポンプが、製造ロットによっては作動しないこともしばしば。改良を重ねた結果、現在は安定して動作するポンプの開発に成功しました。一般的には、針が細い程、人力での薬液注入が困難なのですが、当社のポンプを使えば、かなり内径の細い針でも注入可能です。しかも機械式ポンプと異なり、装置が小さく、針のすぐ近くにポンプを設置できることから、微細なコントロールも可能です。

もう1つの課題は、協業相手でした。たとえば、患部に抗がん剤を注入する「アットドウス・コア」の場合、制度上は「薬物・機械器具コンビネーション製品」に該当するため、承認申請は、製薬企業と一緒に行う必要があります。しかし製薬企業と共同申請をしようにも、製薬企業側はまだ承認されていない医療機器との共同開発には、あまり協力的ではありません。その結果、承認を得るには製薬企業の協力が必要だが、承認がないと製薬企業の協力が得られないという、いわゆる「ニワトリが先かタマゴが先か」状態になるのです。

――非常にむずかしい問題ですね。

そこで発想を変えて、吸引もできるという電気浸透流ポンプの特性を活かして、眼科領域で新たなアプローチを始めました。網膜剥離の手術では、術後にシリコーンオイルを硝子体に注入して網膜を固定するのですが、術後しばらく経過して網膜が定着したら、今度はオイルを硝子体から抜去する必要があります。そこで、当社のポンプを用いて硝子体からオイルを抜去するわけです。この場合、医薬品を注入するわけではないので、当社単独の承認申請が可能です。この場合、後発医療機器に該当するため、薬機法の申請プロセスも進めやすくなります

最初は「寝耳に水」だったインド進出計画...今後は積極的に展開する予定

――いよいよ製品化の目途が立ってきましたが、さらに今後の展望についてもお聞かせ下さい。

いま当社が取り組んでいる重点戦略のひとつが、インド進出です。インドは、日本よりも院内臨床研究が実施しやすいので、まずはインドで「微量投与可能な汎用電動シリンジ」として承認取得した上で、本来の用途である「がん細胞に対する抗がん剤の局所的注入」の臨床研究を実施します。こちらは、現地の乳がんの研究者と一緒に共同研究を始める予定です。昨年5月には知り合いに紹介されたアビジットというインド出身者をCOOとして獲得しました。彼はアットドウスに不可欠な医療業界とITの知識を持ち、マネージメント経験も豊富です。また、昨年8月にインド法人を設立し、インド政府やJETROなどの支援機関からも支援を得ながら、事業立ち上げを進めています。

――しかし、いきなりインド展開とは意外ですが、それも最初から計画されていたのですか?

実はそうでもないのです(笑)。当社が参加したアクセラレーションプログラムで、審査員の1人に「貴社の技術は絶対インドで展開した方が事業化が早い。」とアドバイスされたのが、始まりです。急にインドといわれて、当時は「寝耳に水」でしたが(笑)。でも色々と動いていたら、ジーバさん(現在は特別顧問)という、日本企業のインドビジネスを立ち上げたエンジニアが当社の技術に非常に興味を持ってくれました。彼を通じてインドの医療機関や協業候補ともつながりができました。今では顧問やCOO以外にもインド事業に関する心強い仲間が増えています。昨年にはインドビジネスに興味を持つマネージャーが入社し、現地に長期出張を重ねて様々な活動に注力しています。私自身もすでにインドには9回訪問しており、今後も年に数回は訪問する予定です。

新しい仕事を通じて自分の人生を輝かせることが、人生の目的なのだと思う

――先日はLINK-Jイベントにご参加いただきました。

6月に開催された特別会員限定のCEOラウンドテーブルにも参加させて頂きましたし、先ほどお伝えしたインドビジネス担当のマネージャーはLINK-Jのキャリアフェアがきっかけで採用に至りました。プレゼン時に「インドで仕事がしたい人は、当社に来てほしい!」と話したら、まさにピッタリの人材が入社してくれました。また、当社は様々な場でリリースを発表しますが、最も大きい反響があるのが、LINK-Jの「人と情報の交流掲示板」への掲載とメール配信です。ターゲットが絞られているからかと思いますが、研究者の皆様からもけっこう連絡をもらえるので、とても助かっています。

――ありがとうございました。常に新たな挑戦に挑む姿勢が、素晴らしいと感じました。

わたしは、わがままに生きてきただけです。でもそんな生き方は、実は誰にでも可能だと思います。自分の可能性を、自分で雁字搦めにしているだけかもしれないし、ストレスを抱えながら、ずっと同じ会社に通い続ける必要なんてないのかもしれない。本当に転職するかどうかは別として、そんな選択肢もあると思えば、その瞬間から人生はもっと豊かになるはずです。アットドウスにしても、会社として成功を収めることも重要ですが、わたしたち1人1人が、新しい事業に挑戦することで、人として新たな成長を遂げることが何よりも大切であり、それによって人生を輝かせることが、人生の目的なのだと思います。

adnh.JPG 中村 秀剛 アットドウス株式会社 代表取締役
新潟市出身。大学卒業後は、金型設計、プログラマー、システム開発などの仕事を経る中で、中小企業診断士の資格を得て有限責任監査法人トーマツ(当時) に入社。上場支援や業務改善などのコンサルティング業務に従事するとともに、トーマツベンチャーサポートを兼務し、起業支援プログラムを担当する。川崎市より委託を受けたアクセラレーションプログラムを通じて知り合った平藤衛氏(ヨダカ技研株式会社)と意気投合。極小針と電気浸透流ポンプによるがんの局所治療という、平藤氏のアイデアの社会実装を目指して、2017年9月にアットドウス株式会社を設立する。

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